センニチコウ。夏から秋にかけて、長い間咲き続けることから「千日香」と名付けられたそう。センニチソウともいうらしい。
花のある暮らし
このお花、設計事務所時代から慣れ親しんだものの一つ。完成したばかりの殺風景な家に人さまをお迎えしたいとき、所長の奥さんが庭の草花を小さな花器に挿し、「しつらい用に」と持たせてくれた。センニチコウはこの時期よく登場し、後々 事務所でも長く楽しめたので 愛着もひとしお。こうして小さな花器におさまると、かわいいのに楚々として見えるところがまた魅力的。
正直、昔から特別 花好きだったわけではない。むしろ、女性にしては関心の薄い方。ところが、茶席のしつらいや 設計事務所ならではの美意識に 日々触れるうち、次第に 花のある空間とない空間での モノゴトの印象や伝わり方の違い、しつらい方による気分の違いに気づくようになっていった。
今は、自宅の玄関や廊下の一角、洗面台やトイレの窓台など、ちょっと寂しいところ、行き止まり感・行き詰まり感のあるところに花器を置いている。生けた花が終わりに近づくと 実家の庭で草花を頂戴して花器に生け、家じゅうウロウロしながらベストポジションを探す。場所が決まれば「じゃ、ここね」と声をかけ、その一帯の空間をアゲてくれるよう暗示をかける。こんなに小さなお花や花器でも、さっきまで無機質でグレーがかってみえた空間が 急に息を吹き返したように色味がかって見えるから不思議。
生きているもの・色のあるもの
先日、ある企業におじゃました時のこと。初めてだから ついキョロキョロ見てしまうのだけれど、なんとも、なんともなんとも殺風景で驚いた。作業するだけの場所と割り切ってのことかもしれないけれど、それにしたって色がない。生きてるものがない。ここに慣れたら 感性はフタを閉じてしまうのでは、と案内してくれた人を案じる気持ちすら湧いた。
この片隅に鉢を置いたら、ここに台を置いて花を置いたら…と、妄想で”生きてるもの”をそこに置く。絵はここに、飾り物はここに。妄想が止まらない。今度訪ねるときに勇気を出して言ってみようか?
「ここに お花を置いてみてはどうでしょう」
いやー、言えない。余計なお世話が過ぎるもの。でも知ってほしいなぁ、生きているもの・色のあるものを置くだけで 息を吹き返したように空間は変わるんです。それにいちばん影響を受けるのはニンゲンなんです。