食としつらい、ときどき茶の湯

ふつうの暮らしをちょっとよく。背伸びしないで今日からできる、美味しくて心地よい暮らしのヒントを集めています。

家をつくろうとする方・つくられた方の傍で、 家 人 暮らしを永年見守り続けた 元・建築設計事務所 広報担当から
日々の暮らしを見つめるヒントをお届け。家の捉え方、 暮らしの向き合い方を見つけるきっかけになれば嬉しいです。

美味しい蕎麦のはなし

長野県の麻績村に、自分で蕎麦を育て、挽いて、打ったものを売ってくれる方がいる。

仕事で初めてそのお宅を訪ねたとき、打ち合わせ終わりに「食べてみて」といただいたのが出会い。全てひとりでやっているというお父さんが、「いいかい、とにかく"茹で"が肝心だ。欲張っちゃいけない、必ず一人前ずつ茹でること。家庭に業務用鍋なんてないからね。それから、差水は絶対しちゃいけない。ゆで時間は40秒。うまいかどうかは茹で次第だよ。」と念をおされながら、打ち立ての生蕎麦を渡された。

家に帰ると、まずネギを切り、蕎麦ざると蕎麦猪口を用意。箸置きに箸を置く。準備は調った。さて。始めるか。

頑固親父風のお父さんとは結びつかない(失礼)、やわらかく愛らしい 蕎麦の絵が描かれた包装紙を外し、中に挟まれた説明書を読むと、お父さんに念をおされたのと同じことが書いてある。透明のふたを着せられトレーに収まった蕎麦は、なんとも美しく、上品なたたずまいで、思わず、「うわー」と声が出る。

家にある一番大きいお鍋に水を張って火をつける。沸騰を待つ間、綺麗に切り揃った 蕎麦に触れてみた。フワッフワ。粒子の細かい粉をそのまま触っているかのように、フワッフワ。本当にフワッフワ。

いただいたお蕎麦は2.5人前。いつもなら、一度に鍋に入れてしまうところ、ここはしっかりお父さんの言いつけを守って3回に分ける。1/3を手に取り、さらさらと蕎麦を一本一本手から滑らせるように沸騰している鍋へ。1、2…とカウントし、40数えたところですぐに引き上げさっと水で洗い、氷水で締める。「うわー」また声が出る。美しい。蕎麦が美しいのだ。松本みすず細工の蕎麦ざるに、美しい蕎麦がよく映える。

「いただきます」

もう、言うまでもない。美味しい。美味しすぎる。そば処 信州ゆえ、あちこちでおいしいお蕎麦を食べるけれど、「超えた」と思った。知らない世界が開けた気がした。

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後日、美味しかった!と報告すると、「"茹で"が良かったんだよ」とお父さん。お蕎麦は注文すると配送していただける。調子に乗って、即注文。届いたお蕎麦を再び茹でた。すると今度はブツ切りの仕上がり。味は変わらないとはいえ、ツルツルっという触感は楽しめない。確かに 前と違って蕎麦をばらけさせずに鍋に入れ、慌てて菜箸でつついた気がする。しかも 3回でなく2回に分けて茹でた。慢心だ。なんて勿体ないことをしたんだろう。

その後、何度か注文していただいているが、茹でるたび 忠告を肝に命じ、初心忘るべからず!の精神で茹でに望んでいる。最初の慎重さを持って茹でれば、必ず最高のお蕎麦が食卓に並ぶ。惰性じゃダメなのだ。

合理性やスピードを優先する風潮に身を置いていると、大事なものを見落としてしまう。最高に美味しい瞬間も逃してしまう。丹精込めてつくってくれた人の思いを裏切ることにもなる。
忙しく時間が流れていても、一旦“諸々”を断ち切り、その瞬間に丁寧に向き合うと、それだけで世界は変わる。「最高に美味しい!」にもありつける。茶道でいう「一期一会」って、こんな日常にも通じているんだなぁと改めて思う。


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追記。本当は誰にもおしえたくないけれど、最後まで読んでくださった方にだけ、特別に。


「そば打ち 宮元」
長野県東筑摩郡麻績村麻宮本4369

持ち帰り専門・事前に予約注文して取りに行くスタイル。(おうちの隣のそば打ち小屋で打っているので、その場で召し上がることはできません。)一人前500円。
ただし、ゆうパックで発送してもらえます(送料別途)。秋〜春先がおすすめシーズン。
あえて電話番号は載せませんので、興味のある方は調べてみてくださいね。(ウェブですぐわかります)「本当においしい」を共有・共感いただけたら私も幸せです。

最後までお読みいただきありがとうございました!

 

 

 

母のお弁当三原則

母のお弁当

高校生になってお弁当を持っていくようになると、母は 父のお弁当に加えて私のお弁当もつくってくれるようになった。前にも書いたが、母は「盛り」にうるさい。決して豪華でも 特別手が込んでいるわけでもない 普通のお弁当だが、娘から見ても母のつくるお弁当はとても自然で、美味しそうに見えた。明らかに他の友人のお弁当より「美味しそう」なのだ。

ときどき「自分で詰めてみたら」と言われ、 テーブルに並んだおかずをお弁当箱に詰めることがあった。母がつくったおかずだから味は保証されている。好きなおかずを自由にとって、自分の小さなお弁当箱に詰める。詰め終わると父のお弁当の隣に並べて まだ「息」の抜けきらないご飯の熱を冷ます。
ふたつのお弁当を並べてみると、その違いに愕然とする。父のお弁当はいつもどおり美味しそう、私のお弁当はどこぞのものかと思うほど違った印象。全く同じおかずが入っているはずなのに。母も私のお弁当を覗き込んで、「美味しそうに見えない」と辛口否定。わかっています、自分でも。でもなぜだろう。

母曰く、私のお弁当は「苦しそう」だという。確かに私のお弁当は詰めすぎで、なかには変形し かろうじて ウウッと顔を出しているおかずもある。かといって、詰めすぎないように意識すれば寂しかったりスカスカしたり。持ち歩いてもおかずが動かない、母のような "ふんわり詰まったお弁当"は難しい。

 

母のなかの お弁当ルール

『これがルール』と言われたわけではないけれど、私が詰めるたび 繰り返し母が注意していたことがある。「味の組み合わせ」と「色」、それから「詰め方」だ。

味の組み合わせとは、食感や味に強弱をつけるということ。メインのおかずの味の濃さに合わせて サブのおかずの味を調整する。単調だったり どれもパンチがあったりすると組み合わせとしてよろしくない。
一度、ハンバーグだのコロッケだの、好きなおかずだけを詰めたことがある。母に「逃げ場がない」と酷評されながら そのまま持っていって食べたところ、なるほど逃げ場がなかった。濃い味のあとはさっぱりしてから次に行きたいのだ。

とは、彩りで栄養バランスを確認するというもの。白(ごはん)・茶(メイン)・緑(葉ものなど、緑色の野菜)・赤(人参やトマトなど 濃色の野菜)・黄(卵系)を意識しておかずを用意するとざっくり栄養バランスが取れるという。確かに 茶色や黄色ばかりでは、カロリー高め・塩分多めで「逃げ場のない」お弁当になってしまう。五色がむずかしくても、最低三色。これは今も心に刻んでいる。

詰め方。蓋を開けたときの姿を意識する。こんもり山盛り 蓋の閉まらないインスタ映え弁当とは意図がちがう。五色のおかずが生きるよう、彩りバランスを考える。そして、詰めすぎない・スカスカさせない。おかずを立てたり 斜めに重ねてみたり。不安定ならキャベツの千切りをクッションがわりに敷いてみるなど、持ち歩きの揺れで動いてしまわないよう おさまりよく 立体的に詰めていく。

 

お弁当思想を引き継ぐ

今はすっかりお弁当ブーム。豪華さやサプライズ性などキャッチーなお弁当が流行っているが、母のつくるお弁当はそういうのとは全然違う。力みのない、普段着の、いつもの。で、美味しそう。毎日まいにち 自然にそれが繰り返される。私はやっぱりそういうお弁当が好きだ。

夫のお弁当をつくるようになった今も、未だ"詰めすぎ傾向"は治らないのだけれど、高校生の頃より 少しはマシになったかもしれない。力みのない、普段着の、それでいて ふんわり美味しそう。そんなお弁当を目指して今日も夫のお弁当で練習を重ている。

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野菜はアタマからシッポまで

野菜を切ったら出てくる 皮やヘタ。捨ててしまわず 冷凍してストックし、色々な素材が集まるとできてしまうのが、野菜だしのスープ。

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野菜だしのスープは、ふわっとやさしい風味がする。もちろん、使う野菜によって色も香りも全然違うのだけれど、そこがまたオモシロイ。玉ねぎの薄皮や人参が多めなら褐色に、大根の葉やネギのアタマが多めなら黄金色に、白っぽい野菜ばかりでも淡い黄色になったりする。じゃがいもの皮が入った時はホクホクした香り、玉ねぎのヘタが多めなら甘い香り。回数を重ねるごとに傾向は読めてくるのだけれど、何も狙うことなく「さて今日はどうなる?」と出来上がりを楽しむのが醍醐味。
説明するまでもないけれど、一応簡単に説明を。

 

(1)野菜のアタマとシッポの用意

f:id:our_table:20181023140644j:plain野菜の皮、ヘタ、芯など、いろいろな「野菜クズ」をミックスしてお鍋に入れたら野菜がかぶるくらいの水を入れる。
この日は冷凍保存していた人参のヘタと皮、玉ねぎのヘタと薄皮、じゃがいもの皮、大根の皮、ほうれん草の根元、りんごの皮、梨の皮。そこに採ったばかりの二十日大根の葉を投入。果物の皮は少々悩んだけれど、ここは思い切って入れてみる。たいてい失敗はない。

(2)煮込む

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お鍋に野菜を入れて水を入れたらコトコト。ただ煮込むだけ。アクが出たらアク抜きを。弱火で10分も煮込めば 淡い色がでているはず。一旦火を止め、ある程度冷ます。(時間がなければ冷ます工程を飛ばしてしまってもいいけれど、この間に味が野菜からじわじわ味も色もでてくるので、できれば10分でも20分でもおやすみタイムを。)冷めたら再び火にかけコトコト。5分も煮込めば十分、もうしっかりダシはでているはず。ここでコトコトは終了。

(3)野菜を取り出す

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野菜を引き上げてみると、お鍋には淡い黄金色のスープが。いい香り!
余力があれば キッチンペーパーを敷いたざるで濾し、急ぐ場合は漉さずに使う。このダシに少々の塩を足せば もう十分。ポトフなんかにしたら最高。コンソメのダシとは全く別物、ふわっとやさしいポトフができるのだ。

煮込む時間・置いておく時間はかかるけど、正直手はかからない。素材を入れて放っておけばできてしまう。野菜は「身」だけじゃなくって「アタマ」から「シッポ」まで。このスープをいただくたび、「やるなぁ」と野菜の懐の深さに驚いてしまう。

食で季節をつかまえる 松茸ごはん

夕方、突然母がやってきて「これ、おすそ分け」と持ってきてくれたのが松茸。
父が友人からいただいたらしい。高級食材を食べ慣れているわけじゃないから その良さやうんちくみたいなものは正直よくわからないけれど、食を通じて四季を堪能できるのは心のそこから嬉しい。

目と、鼻と、舌と。

年に一度、やるかやらないかの松茸ご飯。お米を研いで水に浸し、昆布を置いてそのまま2時間。醤油・酒・塩を加えて混ぜ合わせ、さらに1時間。そろそろ...と昆布を引き上げ 松茸投入、炊飯開始。うちの炊飯ジャーは50分で炊けるのだけど、20分もすると部屋中になんとも芳しい香りが漂った。そう。松茸は、この香りが最高なのだ!
うちは夕食が遅め。21時半、22時に晩酌後のゴハンがスタートする。ということで、炊き上がりは21:45狙い。さてどうでしょう。

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ジャーを開けた瞬間、夫が「いい匂い!」と声をあげた。
最近 買ったばかりの東屋のご飯茶碗によそって三つ葉を載せると、おお、いい感じ。いい彩り。思わず見惚れる。

それにしても、いい香り。空気に乗って 香りがふわふわ泳いでいるようだ。TVで 松茸産地の子どもたちが 給食で出された松茸ご飯を前に「いい匂い!」と言っていたのを「本当にわかる?」と半信半疑に見ていたけれど、これはさすがにわかるか、と納得。

夫婦二人 同時に最初の一口をいただく。
美味しい。味なのか、香りなのか、何がこんなに心地よくさせてくれるのかわからないけれど、美味しい。一口ひとくちに顔がほころぶ。松茸の香りと三つ葉の香りが切れ目なく交代で次々やってくる。

前にもおすそ分けをいただいて松茸ご飯をつくったけれど、こんなに感動したっけ?あの時と今と何が違うんだろう。
食に向き合う気持ちと かけた手間、そして三つ葉と器。つまりは、”気持ち” と ”しつらい”。ただただ 突っ走る日々を送っていると、その「瞬間」に目がいかない。器だって、彩だって、「より美味しくいただこう」とする気持ち。味わいは、舌だけじゃなく 鼻も目もはたらいて感じるものなんだから、やっぱり、おざなりにしてはいけないのだ。

忘備録的レシピ

今回のレシピは愛読している「白ごはん」をベースに過去の自己流と合わせたもの。美味しくできたので、またの機会に再現できるよう、メモの意味を含めて書いておこうと思います。

 《材料》
 ・お米 2合
 ・お水(炊飯器で普通に白飯2合を炊くときの分量。きもーち少なめ。)  
 ・松茸(中サイズ) 1本
 ・だし昆布(今回は利尻昆布使用)10㎝角ぐらい 
 ・醤油 大さじ1.5
 ・酒 大さじ1
 ・塩 ふたつまみ
 ・三つ葉 少々

 《作りかた》
(1)普通にお米を研ぐ
(2)普段の炊き加減より きもーち少なめのお水をいれる(炊飯器のお釜にて。)
(3)だし昆布を入れ、2時間ほど置いておく
(4)醤油・酒・塩を入れ、全体をそーっと混ぜる
(5)昆布を取り出して割いた松茸を入れ、30分〜1時間ほど置く(茸は炊けると縮まるので 細かく割きすぎないよう注意。)
(6)炊飯カイシ!
(7)炊き上がったらよく混ぜ、10分ほど蒸らしタイム
(8)器へ。ふんわり、山型。刻んだ三つ葉を散らして食卓へ。

今週のお題「最近おいしかったもの」にちなんで、”松茸ご飯”でした!



ときめき!!『ラブおばさんの子供料理教室』

今でも大事に持っている、子どもの頃に買ってもらったある本のお話。

おもちゃ屋さんには近寄らないけれど、本屋さんにはよく連れて行ってくれた母。「一冊だけね」という声を合図に好きな本が並ぶエリアに急行するのが常。ただし その『一冊』にはマンガは含まれず、母自ら「これ、いいじゃない」と漢字ドリルや計算ドリルを推してくるという…笑。子ども心に母の狙いはわかっているので、その意図をかいくぐり なおかつ 自分が欲しい絶妙な本を探しては、「これお願い」と差し出し 厳しい購入判定検閲を受けるのがお決まりだった。

大抵は伝記モノや図鑑系になるのだけれど(物語は数回読むと読まなくなってしまうから損した気分になる)、ある時、本棚の前で脳天をくらうほどトキめく本に出会った。それが、『ラブおばさんの子供料理教室』(鎌倉書房)。

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子ども向けの料理本で、中学生のお姉さんと小学生の女の子たちが”ラブおばさん”の手ほどきで色々な料理に挑戦し レシピを紹介するもの。かわいい挿絵が散りばめられ、登場する女の子たちはキュートな服を着て素敵な器やお鍋を使いながら「グラッセ」だとか「海の幸のホイル焼き」だとか、聞いたことのないお料理を作っている。田舎の小さな少女には、まるで外国に行ったような衝撃。ページをめくるたび、興奮が止まらなかった。

母の検閲をあっさり通過し 私のもとにやってきた『ラブおばさんの子供料理教室』は、以来 私のバイブルに。眺めては世界に浸り、手順をイメトレし、端から試す毎日。その後、本屋さんで買ってもらうのは決まって「お菓子百貨」や「料理の基礎」などのレシピ本に。いつの間にか、料理が趣味になっていった。

相変わらず どうにか勉強させようとする母だったが、「これを作ってみたい」といえばすぐに材料を揃えてくれ、いつも黙って協力してくれた。今考えれば、材料、道具、と相当な出費だったと思うけれど、そのおかげで「料理は楽しい」というイメージが身体中に染み込だ大人に成長した。

ある程度成長してから料理に挑戦するのもいいけれど、子どもの頃に感じた「楽しい」の感覚がベースにあるのって、やっぱりとても幸せなことだと思う。

『ラブおばさんの子供料理教室』と母に感謝。

 

 

茶碗の中のご飯の美学

母は食事の盛り付けに少しうるさい。

「美味しそうに盛る」

これが口癖で、子どもでも ごはんの盛り方がきれいじゃないと容赦なくやり直し指令をだしてくる。

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「美味しそうに盛りなさい」

父のごはんは やや大ぶりのお茶碗にたっぷり盛り。一膳めは、お茶碗の縁の高さを少し超え ふんわり山型に盛られる。いくらたくさん食べるといっても、美味しそうに見える量を超えて盛るのは絶対NG。お茶碗の大きさに適した盛りで、ふんわり山型でないと美味しそうに見えない、と母は言う。

洗いたての器によそった一膳めのごはんならやり直しが効くけれど、おかわりのときは お釜にごはんを戻してやり直すわけにもいかない。「たくさんは要らないよ」という父のセリフを聞きながら、少なめごはんを慎重に ふんわり盛る。失敗できない。多すぎると 父が「多い」と不満を漏らす。お茶碗1/3ぐらいの量をふんわり盛って、「このぐらい?」と父に聞き、「もう少し」と言われれば さらに二口分ぐらいをふんわり追加。「このぐらい?」とまた父に聞く。そのやりとりとご飯茶碗を母がじっと見ているものだから、ごはんのおかわりを頼まれるとちいさなプレッシャーを感じながら慎重に慎重に盛っていた。

 

ふんわり、山盛り。

だから、大人になっても定食屋さんに行くとご飯の盛り付けはとても気になる。お茶碗のサイズに合う、ふんわりとした山型のご飯だと「あぁいい感じ」と思うし、しゃもじからパタリと移しただけのような、てっぺんが平らの盛りだと心底がっかりする。「気持ちが入ってないんだな」と食べる前からテンションが下がり、定食の味など感じなくなってしまう。お茶碗サイズを無視した山盛りやぎゅうぎゅう押し込んだような盛りは、『沢山盛ったんだから それでいいでしょ』みたいな投げやりな気持ちを感じて悲しくなる。美味しそうに盛れば 美味しそうに見えて、さぁ召し上がれっていうつくり手の気持ちもお茶碗によそわれるのに。

ご飯茶碗の中に盛られる白いご飯は、ふんわり山盛り。

「美味しそうにみえる盛り」ってあるんです。

おばあちゃんの誕生日に。

おばあちゃん94歳のお誕生日。

これまで仕事ばかりで顔を出すこともままならなかったことを猛省し、茶懐石の点心風お昼を用意して会いに行ってきた。

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近頃 外食がむずかしくなってきたので ちょっとでも特別感を味わえたらというこちらの気持ちが読めたのか、「お店より素敵だね」とおばあちゃん。孫がつくってくれたから、とお米一粒ひと粒まで 大事に丁寧に食べてくれる姿に胸にこみ上げるものがあった。

少なめに 柔らかめにと思っていたのに、量も多かったしあれもこれやや固め。味も量も加減もおばあちゃんには決してちょうどいいものではなかったけれど、「孫がつくった」こと自体を丸ごと受けとめ、いただこうとするおばあちゃん。食事って、つくる側が喜ばせるだけじゃなくて、いただく側が喜ばせるということがあるんだなぁと思い知らされた。

料理はまさに"お粗末さまでした"なんだけど、気持ちのやり取りのある素敵な食事タイム。「いただき方」、大事なんだなぁ。