食としつらい、ときどき茶の湯

ふつうの暮らしをちょっとよく。背伸びしないで今日からできる、美味しくて心地よい暮らしのヒントを集めています。

家をつくろうとする方・つくられた方の傍で、 家 人 暮らしを永年見守り続けた 元・建築設計事務所 広報担当から
日々の暮らしを見つめるヒントをお届け。家の捉え方、 暮らしの向き合い方を見つけるきっかけになれば嬉しいです。

サンタの煙突

12月25日。

夜中じゅう駆け回り 子どもたちにプレゼントを届けたサンタクロース、今はほっと一息ついているはず。お疲れさま、サンタさん。

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サンタさんとの出会い

初めてサンタクロースを知ったのは、4歳の頃。幼稚園で 絵本を読んでもらったときだった。初めて聞く話にピンとこず、絵本の中のお話として聞いていて 他の子のようにワクワクすることもなかったのだが、その年、ただのお話ではなかったことを知ることになる。

クリスマスの朝、リビングの壁に 小さな紙袋がかかっているのを見つけた。昨日まではなかったはずのリボンのついた紙袋。なんだろう?と釘付けになって見つめていると、「あなたのところにサンタさんが来たのかも」と母。サンタさん?うちに?半信半疑のまま 袋を開けて 覗いてみた。
中にはかわいいハンカチが入っていた。確かに私宛てのよう。でもサンタさんが来たとは信じがたい。だって、絵本で見た プレゼントをもらう子たちはみんな髪が黄色いし、サンタさんだって 鼻がとんがっていてこの辺で見る顔じゃない。サンタさんがいるのはどこか遠い国で、プレゼントは外国の子のところにしか来ない。黄色いアタマじゃない自分のところにもくるなんて。

その紙袋には 手紙も入っていた。
『泣かないように がまんしようね。でも、どうしても涙がでちゃうときには このハンカチでふいてね。』
びっくり。なんで知っているんだろう。その頃 大の泣き虫だった私は 毎日のように「泣いちゃダメよ」と先生に言われていた。贈り主は 私が泣いてばかりいることを知っている。ふしぎでふしぎで仕方ない。サンタさんはそんなことまで知っているのか。

ソリに乗れば空も飛べるし、一晩で 世界中の子どもたちにプレゼントを贈り届けられる。先生と友達しか知らないはずの 幼稚園での出来事も知っている。サンタさんは魔法を使えるのかもしれない。私の中でそんなイメージが出来上がった。

 

煙突はどこ

それからは、クリスマスが楽しみで仕方なかった。ただ、うちに来るサンタさんは必ずしも欲しいものをくれるわけでないこともわかってきた。どちらかというと、教育的要素の強いものをくれるらしい。絵本とか、地球儀とか。だから、その意図を汲んで、サンタさんに欲しいものを伝える手紙には 優等生っぽいものを書くようにした。「ソロバンが欲しい」と書いた年もある。もちろん本当に欲しかったわけではない。どこかで聞いてきた、頭のいい子が出来るというソロバンとやらを欲しいと願えば、サンタさんにそっぽを向かれないと思ったのだ。サンタさんはいい子にしかプレゼントをくれない。勉学に励む まじめでいい子だ と強く訴えなければ、と思ったのだ。

小学校に入ると、サンタクロースの話題は2つの派閥に分かれ始める。「そんなのいない」派と「間違いなくいる」派。私は後者に属していたので、12月になるとサンタクロースに見捨てられないよう せっせといい子アピールをして過ごした。
そんな頃、友達から「サンタクロースって、煙突から入ってくるんだよ。煙突がないおうちには入れないんだって。」と告げられる。慌てて帰って家を一回り見てみるが、サンタさんが入ってこれそうな煙突がない。どうしよう!そう思っているところに、心許ない細いエントツを見つけた。これだ!トイレの外に伸びる細くて長いエントツ。
「大丈夫かな」と細いエントツを指差す私に 「うーん、あれは臭突だからねぇ、どうかなぁ。」と母。「シュウトツ?でも煙突の仲間なんでしょ??」こっちも必死だ。とにかく、サンタクロースがウチに来れることを肯定したい。サンタさんは昔私が泣いているのを知っていたほどの魔法使い。こんなに細くたって 体を小さくするなり にょろにょろ変形するなりして 家に入ってこられるはず。もう、こじつけだろうとなんだろうと、「サンタクロースが入れる煙突がウチにもある」に落着しないと困るのだ。

その年も、サンタさんはプレゼントを持ってやってきた。何をもらったかは忘れてしまったけれど、多分きっとあの臭突を通って家に入ってきてくれた。
この季節になると いつも決まって思い出す サンタの煙突問題。思い出すたび、煙突ある・ないに そこまで躍起になる前に なぜ サンタさんは 前の年もプレゼントを持ってきてくれたことに意識が向かなかったんだろう と不思議でならない。時々思い出しては、そういうところ、昔からだな、と思う。