食としつらい、ときどき茶の湯

ふつうの暮らしをちょっとよく。背伸びしないで今日からできる、美味しくて心地よい暮らしのヒントを集めています。

家をつくろうとする方・つくられた方の傍で、 家 人 暮らしを永年見守り続けた 元・建築設計事務所 広報担当から
日々の暮らしを見つめるヒントをお届け。家の捉え方、 暮らしの向き合い方を見つけるきっかけになれば嬉しいです。

空間をガラリと変える ファブリックパネル

勤めていた設計事務所では、性能の高さやデザイン性などから北欧スウェーデンの住宅を研究していた。建築はもちろん、インテリアや家具、文化、ライフスタイルなど北欧の情報に触れる機会が多く、私自身、気がつけば 北欧テイストが体になじみ、和と北欧が融合する いい頃合いを見つけながら 普段の暮らしに活かすようになっていた。ファブリックパネルを作るようになったのも、そんな縁からだ。

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ファブリックパネルとは

ファブリックパネルは、色彩やデザインの映える布地(テキスタイル)を枠材に覆いかぶせ 立体的なパネルに仕上げたもの。色味のない単調な部屋でも、壁にこのパネルを配するだけで ガラリと雰囲気を変えることができるスグレモノだ。
パネルの大きさは 多種多様。20センチ角前後のスモールサイズ、40センチ角前後のミドルサイズ、60センチ角あるいは1m超の横長など、本当に色々ある。洗面脱衣室やトイレなどの小さな空間にはスモールサイズがちょうどよく合うだろうし、壁面が広く 十分な引きがあれば、ミドルサイズやラージサイズも映える。2枚並べてダブルで配するのもアリだ。大事なのは、壁や空間の「余白」に合わせてサイズ感をみること。

 

暮らしの環境

冬が長く厳しい北欧の国々では、家のなかで過ごす時間が長い。となると 必然的に住環境に意識が向く。それはもちろん 家そのものに向けたものでもあるのだけれど、室内の装飾 つまり インテリアにも向けられる。いかに心地よく快適な環境を整えるかに気を配るのだ。だから、あかりや椅子、テーブルをとても大事に考えるし、壁にかかる絵、置物ひとつひとつを丁寧に吟味し 何をどこにどう据えると心地よいかを考える。 親や祖父母から受け継いだもの、年月を経たものは特に大事にされ、注がれた時間と愛着に価値を見出すのも ひとつの文化だ。

一方、高度経済成長の恩恵を受けてきた私たち日本人の家は、身の回りのものが著しく量産品に偏っていて ひとつひとつの個性に目を向ける感覚を失いつつある。ついつい買ってしまい、 モノがあふれている家だって多い。北欧の住環境とは なかなかのギャップにあるけれど、でも実は 日本だって元々モノにあふれる住環境だったわけじゃない。遠く遡れば、私たちの先祖はモノを大事に使って 次の代に渡したし、大切に使い続けてきた。茶室を見れば、その時々にあった空間を演出するため 掛け軸や花、花入れ、香合などひとつひとつを丁寧に吟味し 取り合わせを考えて構成している。ひとつのアイテムに目を向け 空間を考えることは、私たちのルーツに根付いた感覚のはずだ。

 

しつらいとしてのファブリックパネル

錚々たるデザイナー・作家によるテキスタイルで作られたファブリックパネルは、さすがに目を引く。人それぞれ 心に響くデザインとの出会いもあるだろう。そうしたものを身近に持つことは エネルギーの源にもなるかもしれない。

ただ しつらいとして考えたとき、お気に入りの大事な大事な一点モノ が常にベストなわけでもない。しつらいは、環境づくり。ファブリックパネルは、なりたい気分になるためのアイテムのひとつだ。清々しい気分、まったりした気分、エネルギーに満ちた気分。求める環境は 季節によっても変わるはず。年がら年中同じでは、そのときにあった環境をつくることはできない。いつの間にやらすっかり見慣れてしまって 当初感じた 温かみなり 清々しさなり、そのもの自体が持っている個性が届かなくなってしまうのでは もったいない。時々で 入れ替えたり外してみたり、その空間の印象を変える工夫は必要だ。

あまり高額なものだと 入れ替えるのはむずかしい。であれば、「色味」で捉えたらどうだろう。いつもの部屋に一石投じる"挿し色"としてのファブリックパネル。何色が加わると活きるか、パッと華やぐか。そんなことを考えながら ファブリックパネルを選ぶと ぐっと身近なものになるんじゃないだろうか。

 

【風土プラス 関連アイテムインフォ】

https://fudoplus.thebase.in

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ファブリックパネル 38cm×38cm 
Kauniste_sunnutai D  ¥6,000
フィンランド語で、“日曜日”という名のテキスタイル。青やベージュ色のお花の中に愛らしい小鳥がいるカット。空間が一気に爽やかになるアイテムです。

 

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ファブリックパネル 38cm×38cm

Granada B  ¥5,800

鮮やかなオレンジ色が冴える、花と実りのテキスタイル。白地ベースながらオレンジ系の挿し色として効果的。空間に温もりを与えてくれます。

 

 

 

暮らしのなかの日々の花「センニチコウ」

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センニチコウ。夏から秋にかけて、長い間咲き続けることから「千日香」と名付けられたそう。センニチソウともいうらしい。

 

花のある暮らし

このお花、設計事務所時代から慣れ親しんだものの一つ。完成したばかりの殺風景な家に人さまをお迎えしたいとき、所長の奥さんが庭の草花を小さな花器に挿し、「しつらい用に」と持たせてくれた。センニチコウはこの時期よく登場し、後々 事務所でも長く楽しめたので 愛着もひとしお。こうして小さな花器におさまると、かわいいのに楚々として見えるところがまた魅力的。

正直、昔から特別 花好きだったわけではない。むしろ、女性にしては関心の薄い方。ところが、茶席のしつらいや 設計事務所ならではの美意識に 日々触れるうち、次第に 花のある空間とない空間での モノゴトの印象や伝わり方の違い、しつらい方による気分の違いに気づくようになっていった。

今は、自宅の玄関や廊下の一角、洗面台やトイレの窓台など、ちょっと寂しいところ、行き止まり感・行き詰まり感のあるところに花器を置いている。生けた花が終わりに近づくと 実家の庭で草花を頂戴して花器に生け、家じゅうウロウロしながらベストポジションを探す。場所が決まれば「じゃ、ここね」と声をかけ、その一帯の空間をアゲてくれるよう暗示をかける。こんなに小さなお花や花器でも、さっきまで無機質でグレーがかってみえた空間が 急に息を吹き返したように色味がかって見えるから不思議。

 

生きているもの・色のあるもの

先日、ある企業におじゃました時のこと。初めてだから ついキョロキョロ見てしまうのだけれど、なんとも、なんともなんとも殺風景で驚いた。作業するだけの場所と割り切ってのことかもしれないけれど、それにしたって色がない。生きてるものがない。ここに慣れたら 感性はフタを閉じてしまうのでは、と案内してくれた人を案じる気持ちすら湧いた。

この片隅に鉢を置いたら、ここに台を置いて花を置いたら…と、妄想で”生きてるもの”をそこに置く。絵はここに、飾り物はここに。妄想が止まらない。今度訪ねるときに勇気を出して言ってみようか?

「ここに お花を置いてみてはどうでしょう」

いやー、言えない。余計なお世話が過ぎるもの。でも知ってほしいなぁ、生きているもの・色のあるものを置くだけで 息を吹き返したように空間は変わるんです。それにいちばん影響を受けるのはニンゲンなんです。

 

 

脱・モノの多い暮らし

ずいぶん前から、所有するモノの量を考えるようになった。服も ストック品も 極力買い集めないようにしている。改めて モノの量のことを考えていたら、昔書いた記事をふと思い出した。2016 年に書いた今はなきブログ記事、思い出しついでに ここに移し書いておこう。

 

家が持つ 荷物の量を考える 〜2冊の本の視点から〜 

『フランス人は10着しか服を持たない』という本が売れています。パリにホームステイ経験のあるアメリカ人、ジェニファー・L・スコット氏による著書です。

「10着なんて絶対嘘だ!」という声が聞こえてきそうですが、これは、季節ごとに着回すワードローブ数なのだそう。それでもやはり、「全く想像できない」と感じる方が大半かもしれません。

荷物に関する書籍でもう1冊。
世界の家と家財道具と家族を撮った面白い本があります。およそ20年前に出版された、写真家のピーター・メンツェル氏著、『地球家族 ー 世界30か国のふつうの暮らし』

各国のお宅の写真を見比べると、日本の家の家財の多さに驚いたり、「ウチはこんなもんじゃない、もっとあるよ」という方もいらっしゃるかもしれません。

一般に、私たち日本人は服に限らずとにかく荷物が多い。「勿体ない」という感覚や風習がある上に、「いつか役に立つかも…」という淡い期待の入り混じった「判断保留」が多いのも事実。”何十年モノの開かずのハコ”をいくつも押入れに入れたままの方も多いのではないでしょうか。

家族構成や年代によって適した大きさ・環境の家に住み替える文化の西欧と違い、日本人は ひとつの土地で土着して生涯を送ることが多い。家を幾世代も住み継ぐこともまた文化です。

となれば、判断しない限りは「保留」は増える一方で、「中身はよく分からないが 何か大事なモノ」が何十年もそのまま家にあることになります。新しく家をつくろうというときも、女性の方の多くが「先ず収納」とおっしゃいます。もちろん十分あるに越したことはないのですが、収納をつくるのだってリビングや寝室同様、”スペース”と”お金”がかかります。

「よくわからない何か大事なモノ」 「ほぼ出番のないモノ」を置くために、何十万、何百万もお金を払い、ときには家族の“居場所”を圧迫しているのです。“ぜひそばに置いておきたい大切なもの”を見極めて、それらを厳選できる感覚をもう少し持てたなら、モノを持つ豊かさとは違う豊かさに出会えるかもしれません。

そして、家はもう少し小さくていいかもしれません。機会があったら この2冊の本を手にとってみてください。

『フランス人は10着しか服を持たない ~パリで学んだ“暮らしの質"を高める秘訣~
著者:ジェニファー・L・スコット / 翻訳:神崎朗子 / 出版:大和書房

『地球家族 世界30か国のふつうのくらし』
著者:ピーター・メンツェル、マテリアルワールドプロジェクト / 翻訳:近藤真理、杉山良男 / 出版:TOTO出版



素敵な家に 素敵な暮らしが付いてくるわけじゃない

竣工したての現場にて。建物はもちろん外構など敷地全体が調い、醸し出す雰囲気も素敵。お施主さまがお住まいになるまであとわずか。

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長年、設計事務所で 沢山のお客さまに接してきて思うのは、どんな方もその後の すてきな暮らしを思い描いて家をつくるということ。性能や仕上げに視点の向く方もいるけれど、それもご自分の望む暮らしがあればこそ。依頼先や完成する家は違えど、心の中で思い描いているのは「新居で始まる素敵な暮らし」。家というより、そこで始まる新しい暮らしに想像を膨らませているのです。

ところが実際、「素敵な新居 → 素敵な暮らし」とはいかない。手取り足取りプロの指南を受けて理想の家をつくっても、そこから先、暮らす場面にプロはついてこないのです。まさに 生かすも殺すも…の世界。新しくてピカピカのキレイな"ハコ"を渡されたら、そこから先は家族で操縦。何がどうだと素敵なのかわからないまま船を漕ぎ出し、まぁとりあえず…なんて言っているうちに新しくてピカピカの"ハコ"にはモノが溢れ、以前と変わらない雑多な日常が当たり前になっていく。「なんでこうなっちゃったの?」とため息をついている人も多いかもしれません。

繰り返しになりますが、「いい家ができればいい暮らしが付いてくる」わけではありません。そこにはやっぱりそれなりの感性が必要だと思うのです。自力で道筋が見えなそうなら、 家づくり同様 指南を受けるのも大事と思うのです。

早くていい、便利でいい、安くていい、多くていい、を基準に判断されてきた戦後日本の”当たり前”にどっぷり浸かり、知らないうちに育ってしまった感性を少しずつ軌道修正できたなら、「素敵な家で 素敵な暮らし」が叶うだろうし、なにも 新しい家でなくても素敵な暮らしは叶うはず。

一歩ずつ、一歩ずつ。