食としつらい、ときどき茶の湯

ふつうの暮らしをちょっとよく。背伸びしないで今日からできる、美味しくて心地よい暮らしのヒントを集めています。

家をつくろうとする方・つくられた方の傍で、 家 人 暮らしを永年見守り続けた 元・建築設計事務所 広報担当から
日々の暮らしを見つめるヒントをお届け。家の捉え方、 暮らしの向き合い方を見つけるきっかけになれば嬉しいです。

サンタの煙突

12月25日。

夜中じゅう駆け回り 子どもたちにプレゼントを届けたサンタクロース、今はほっと一息ついているはず。お疲れさま、サンタさん。

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サンタさんとの出会い

初めてサンタクロースを知ったのは、4歳の頃。幼稚園で 絵本を読んでもらったときだった。初めて聞く話にピンとこず、絵本の中のお話として聞いていて 他の子のようにワクワクすることもなかったのだが、その年、ただのお話ではなかったことを知ることになる。

クリスマスの朝、リビングの壁に 小さな紙袋がかかっているのを見つけた。昨日まではなかったはずのリボンのついた紙袋。なんだろう?と釘付けになって見つめていると、「あなたのところにサンタさんが来たのかも」と母。サンタさん?うちに?半信半疑のまま 袋を開けて 覗いてみた。
中にはかわいいハンカチが入っていた。確かに私宛てのよう。でもサンタさんが来たとは信じがたい。だって、絵本で見た プレゼントをもらう子たちはみんな髪が黄色いし、サンタさんだって 鼻がとんがっていてこの辺で見る顔じゃない。サンタさんがいるのはどこか遠い国で、プレゼントは外国の子のところにしか来ない。黄色いアタマじゃない自分のところにもくるなんて。

その紙袋には 手紙も入っていた。
『泣かないように がまんしようね。でも、どうしても涙がでちゃうときには このハンカチでふいてね。』
びっくり。なんで知っているんだろう。その頃 大の泣き虫だった私は 毎日のように「泣いちゃダメよ」と先生に言われていた。贈り主は 私が泣いてばかりいることを知っている。ふしぎでふしぎで仕方ない。サンタさんはそんなことまで知っているのか。

ソリに乗れば空も飛べるし、一晩で 世界中の子どもたちにプレゼントを贈り届けられる。先生と友達しか知らないはずの 幼稚園での出来事も知っている。サンタさんは魔法を使えるのかもしれない。私の中でそんなイメージが出来上がった。

 

煙突はどこ

それからは、クリスマスが楽しみで仕方なかった。ただ、うちに来るサンタさんは必ずしも欲しいものをくれるわけでないこともわかってきた。どちらかというと、教育的要素の強いものをくれるらしい。絵本とか、地球儀とか。だから、その意図を汲んで、サンタさんに欲しいものを伝える手紙には 優等生っぽいものを書くようにした。「ソロバンが欲しい」と書いた年もある。もちろん本当に欲しかったわけではない。どこかで聞いてきた、頭のいい子が出来るというソロバンとやらを欲しいと願えば、サンタさんにそっぽを向かれないと思ったのだ。サンタさんはいい子にしかプレゼントをくれない。勉学に励む まじめでいい子だ と強く訴えなければ、と思ったのだ。

小学校に入ると、サンタクロースの話題は2つの派閥に分かれ始める。「そんなのいない」派と「間違いなくいる」派。私は後者に属していたので、12月になるとサンタクロースに見捨てられないよう せっせといい子アピールをして過ごした。
そんな頃、友達から「サンタクロースって、煙突から入ってくるんだよ。煙突がないおうちには入れないんだって。」と告げられる。慌てて帰って家を一回り見てみるが、サンタさんが入ってこれそうな煙突がない。どうしよう!そう思っているところに、心許ない細いエントツを見つけた。これだ!トイレの外に伸びる細くて長いエントツ。
「大丈夫かな」と細いエントツを指差す私に 「うーん、あれは臭突だからねぇ、どうかなぁ。」と母。「シュウトツ?でも煙突の仲間なんでしょ??」こっちも必死だ。とにかく、サンタクロースがウチに来れることを肯定したい。サンタさんは昔私が泣いているのを知っていたほどの魔法使い。こんなに細くたって 体を小さくするなり にょろにょろ変形するなりして 家に入ってこられるはず。もう、こじつけだろうとなんだろうと、「サンタクロースが入れる煙突がウチにもある」に落着しないと困るのだ。

その年も、サンタさんはプレゼントを持ってやってきた。何をもらったかは忘れてしまったけれど、多分きっとあの臭突を通って家に入ってきてくれた。
この季節になると いつも決まって思い出す サンタの煙突問題。思い出すたび、煙突ある・ないに そこまで躍起になる前に なぜ サンタさんは 前の年もプレゼントを持ってきてくれたことに意識が向かなかったんだろう と不思議でならない。時々思い出しては、そういうところ、昔からだな、と思う。

 

 

まめまめしくハタラク。父の畑と落花生。

今年も 父の自家製落花生の美味しい季節がやってきた。実際、父のつくる落花生は家庭菜園の域をはるかに超える。ぷっくりしていて 硬すぎず、乾きすぎず。国産品より大ぶりで、中国産よりジューシーだ。カリッと噛んだ時の食感と、顔のまわりに広がる香ばしさがたまらない。

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ミッフィーノート

父は、昔から自分の好きなことは とことん探求する性質。好きなことはやるけど 好きじゃないことはやらない主義、ともいう。呆れるほどメリハリがあり、農家生まれ農家育ちながら 畑しごとは ほぼノータッチ。仕事の延長線にあるものごとと ゴルフにしか興味がなかったのだが、ひょんなことから近所の畑を借りることになり 新たな探求の日々が始まった。
ある日、父が「要らないノートはあるか」と聞いてきた。たまたま手元にあったのは黄色いハードカバーのリングノート。シンプルだが すべてのページにミッフィーがいる。「それでいいや」と受け取ると、ペラペラページをめくりながら部屋に戻っていった。

半年以上が経った頃、作業台に置かれたミッフィーノートを見かけた。「あ。」と思って開いてみると、中には太い鉛筆線で 四角い枠、ところどころ囲みがあったり薄く塗りつぶされたりして、引き出し線とともに「ホウレンソウ」「春菊」などと描かれている。畑の配置図だ。他にも 間引きがどうの、芽がどうの、と メモがあり、とにかく緻密だ。こういう用途だったのか という驚き以上に父のマメさに驚いた。
よく言えばおおらか、悪く言えばガサツ というのが家族がみる父のイメージだから、仕事だとか趣味だとか、家族の知らない世界ではこんな一面があるのか、と新鮮だった。

ページの片隅にいるミッフィーと無骨な文字のコラボが妙で笑ってしまったが、そういうことなら もっと違うノートをあげればよかったかな、とも思った。

 

とことん

父の畑しごとは次第に熱を帯びていった。買い集めた本には付箋が貼られ、 靴箱には種の袋が整然と並び、雨樋の先には巨大な桶が据えられた。浴室の窓の外には残り湯を汲み出すポンプと特殊なホースが設置され、休みの日には 早朝からガガガガガ…と歩道を豆トラが進む音する。できる野菜は 驚くほどいい出来で、売りもの同等かそれ以上。ここが 何十軒と家が立ち並ぶ団地ということを忘れてしまう。
父は犬の散歩ついでに顔を合わせたご近所さんに採れた野菜をおすそ分けをするものだから、私が犬の散歩をしていると 知らない人から「キャベツありがとう」「大根 立派だったねぇ」と声をかけられる。同じ犬を連れ 手ぶらでいるのが なんだか申し訳なくなる。「お父さん もう里芋掘ってる?」と手入れや収穫のタイミングを問われることもある。知らないうちに "ご近所さん"は増え、団地の"菜園仲間"には 頼れる情報源になっている。

そんな父が 特に注力しているのが、マメ類。枝豆と落花生。他の野菜とは明らかに熱が違う。全く料理のできない父だが、豆だけは 食卓に上がる最後のところまで自分でやる。いちばんの楽しみ、仕事終わりのイッパイを美味しくするため 納得いく加減で仕上げたいのだ。

 

落花生

落花生は食べられるまでに手間がかかる。収穫してすぐ食べられるわけではない。
サヤをぶら下げた根を掘り出し 枝ごと干す。乾いたら 一つひとつサヤを取る。洗う。また干して乾かす。最後にロースト。国産落花生が高いのも頷ける。

一度 サヤを取る作業を手伝ったことがあったが、4時間没頭しても 収穫カゴ1.5個分にしかならなかった。生育中も 土の中でネズミやモグラが狙っているし、少しでも土からサヤが見えようものならカラスに掘り起こされ、干している間も狙われる。洗って庭先で干している間は愛犬が狙う。(これは意味が違うけど。)ローストだって、設備の乏しい家庭には難儀だ。たくさん作れば作るほど、この先の工程の大変さに心が折れそうになる。それでも父は、夢中になって 黙々と作業を進める。

最後の工程、ローストは 父もだいぶ苦戦した。何せ、基本的に料理はできない。
確か、当初はフライパンで炒っていた。オーブン皿に並べて焼いていたこともあるし、銀杏のように 紙袋に入れ レンジでチンしていた時期もある。挙句の果てには お菓子屋さんに持ち込み ローストを依頼した時期もあった。お相伴に預かる者からすれば、どの方法でも十分美味しいのだけれど、会心の豆を作った自負のある父には納得いくローストで食べたい。唯一自身で使えるオーブンレンジのあらゆる機能を端から試し、容器を変え、時間を変え、手順を変え、あの手この手で夜な夜な試作を繰り返す。深夜に 煙がもくもくするのは日常茶飯事で、香ばしい落花生の匂いが家じゅう充満するのは 秋冬の日常光景だ。

何年、何百日、何百回試したかしれないが、昨年父はとうとう納得のローストにたどり着いた。「うめえだろ」と父。ふだん素直でない私もさすがに「これは美味しいね」と即答してしまう。仕上げのロースト加減にこだわる理由がよくわかる。

父流ローストの基本のやり方は習ったが、その時々に微調整が必要で 父でないとうまくできない。年月をかけ執念で編み出した父流ロースト、よっぽど思い入れがないと そう易々と成功はしないのだ。
それにしても、父のマメさと執念には感服する。私にも少しはその血が流れているのだろうか。

 

 

 

 

母のお弁当三原則

母のお弁当

高校生になってお弁当を持っていくようになると、母は 父のお弁当に加えて私のお弁当もつくってくれるようになった。前にも書いたが、母は「盛り」にうるさい。決して豪華でも 特別手が込んでいるわけでもない 普通のお弁当だが、娘から見ても母のつくるお弁当はとても自然で、美味しそうに見えた。明らかに他の友人のお弁当より「美味しそう」なのだ。

ときどき「自分で詰めてみたら」と言われ、 テーブルに並んだおかずをお弁当箱に詰めることがあった。母がつくったおかずだから味は保証されている。好きなおかずを自由にとって、自分の小さなお弁当箱に詰める。詰め終わると父のお弁当の隣に並べて まだ「息」の抜けきらないご飯の熱を冷ます。
ふたつのお弁当を並べてみると、その違いに愕然とする。父のお弁当はいつもどおり美味しそう、私のお弁当はどこぞのものかと思うほど違った印象。全く同じおかずが入っているはずなのに。母も私のお弁当を覗き込んで、「美味しそうに見えない」と辛口否定。わかっています、自分でも。でもなぜだろう。

母曰く、私のお弁当は「苦しそう」だという。確かに私のお弁当は詰めすぎで、なかには変形し かろうじて ウウッと顔を出しているおかずもある。かといって、詰めすぎないように意識すれば寂しかったりスカスカしたり。持ち歩いてもおかずが動かない、母のような "ふんわり詰まったお弁当"は難しい。

 

母のなかの お弁当ルール

『これがルール』と言われたわけではないけれど、私が詰めるたび 繰り返し母が注意していたことがある。「味の組み合わせ」と「色」、それから「詰め方」だ。

味の組み合わせとは、食感や味に強弱をつけるということ。メインのおかずの味の濃さに合わせて サブのおかずの味を調整する。単調だったり どれもパンチがあったりすると組み合わせとしてよろしくない。
一度、ハンバーグだのコロッケだの、好きなおかずだけを詰めたことがある。母に「逃げ場がない」と酷評されながら そのまま持っていって食べたところ、なるほど逃げ場がなかった。濃い味のあとはさっぱりしてから次に行きたいのだ。

とは、彩りで栄養バランスを確認するというもの。白(ごはん)・茶(メイン)・緑(葉ものなど、緑色の野菜)・赤(人参やトマトなど 濃色の野菜)・黄(卵系)を意識しておかずを用意するとざっくり栄養バランスが取れるという。確かに 茶色や黄色ばかりでは、カロリー高め・塩分多めで「逃げ場のない」お弁当になってしまう。五色がむずかしくても、最低三色。これは今も心に刻んでいる。

詰め方。蓋を開けたときの姿を意識する。こんもり山盛り 蓋の閉まらないインスタ映え弁当とは意図がちがう。五色のおかずが生きるよう、彩りバランスを考える。そして、詰めすぎない・スカスカさせない。おかずを立てたり 斜めに重ねてみたり。不安定ならキャベツの千切りをクッションがわりに敷いてみるなど、持ち歩きの揺れで動いてしまわないよう おさまりよく 立体的に詰めていく。

 

お弁当思想を引き継ぐ

今はすっかりお弁当ブーム。豪華さやサプライズ性などキャッチーなお弁当が流行っているが、母のつくるお弁当はそういうのとは全然違う。力みのない、普段着の、いつもの。で、美味しそう。毎日まいにち 自然にそれが繰り返される。私はやっぱりそういうお弁当が好きだ。

夫のお弁当をつくるようになった今も、未だ"詰めすぎ傾向"は治らないのだけれど、高校生の頃より 少しはマシになったかもしれない。力みのない、普段着の、それでいて ふんわり美味しそう。そんなお弁当を目指して今日も夫のお弁当で練習を重ている。

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キキの街、ドゥブロブニク

キキの街

宮崎駿監督のジブリ映画、「魔女の宅急便」が好きな女子は多い。私もその一人。
13歳で一人立ちしたキキが辿り着いたのは 海のそばの小さな街。喜んだり塞ぎ込んだり この年頃ならではの描写に 自分を重ねた人も多いのでは。みんなこんな甘酸っぱい時期を通って大人になっていく。
それにしても、この街はどこなんだろう。何年もそんな疑問を持っていたのだが、あるとき一枚の写真に釘付けになった。クロアチアのドゥブロブニク。青い海に突き出すように街があり、オレンジ色の屋根が続いている。調べてみると、魔女の宅急便の舞台と言われているらしい。舞台と言われる街は他にもあるが、自分と重ね合わせて見ていたキキは ここにいるような気がして、「いつか行きたい」と思うようになった。

いつか、は 今。

それからしばらくして、突如 病気が発覚した。聞いたこともない病気で 検査入院を繰り返した後 大きな手術を受けることになった。ひと一倍健康と思っていただけに まさか生死を彷徨うことになるとは思ってもみなかったが、「人ってあっさり死んでしまったりするものなんだな」と思い知らされるようだった。

回復して退院が決まると 「いつか と思うことは すぐやろう」と決心した。退院から8か月後、おなかを縦に走る縫い目が痛いぐらいで 経過良好 とわかると、ありったけのお金(ないけど。)をかき集め、夫とドゥブロブニクに向かった。

憧れの、ドゥブロブニク

日本を出て30時間余。長いトランジットを経てようやくドゥブロブニクに降り立った。城壁に囲まれた小さな街。オレンジの屋根が続いた先には”紺碧”としか表現のしようのない青い海。とうとう来てしまった!

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9月とはいえ ヴァカンスシーズンの尾をひき 街は人で溢れている。宿は「ソベ」と呼ばれる民家の一室を借りた。ここまで来て普通にホテルじゃもったいない。住むようにこの街を味わいたいのだ。石畳の道、長い階段、頭の上をそよぐ洗濯物、紺碧の海。どれも”あの”世界だ。

ところが夜になると表情が一変する。明かりが灯りどこからともなく音楽が聞こえてきて、大人の雰囲気が漂う。音楽に耳を傾けながら、料理を楽しんだり語り合ったりワイン片手に踊ったり。若い人も年配の人もみんな自由に楽しんでいる。テラスの一角で演奏される心地よいクラプトンを聴きながら、「今を楽しまないと もったいないな」と思った。

13歳のキキを探すつもりでいたけれど、キキだってもう大人になっている。どこで何をしているんだろう。そのへんのテラスでワインを飲んでいるかもしれない。
大人になったキキの住む街は、大人になった迷える元・少女にもやさしくて、「そんなに踏ん張らなくていいのよ」と語りかけてくれるようだった。来てよかった。何かが吹っ切れるような気がした。キキがいたかどうかはわからないけれど、間違いなく、13歳の少女は大人になって、躊躇しないで飛びこむこと そして 今を楽しむことが何より大事だと悟ることができた。

今は今しかないのだ。人生いつ終わるかわからないんだから、全力で楽しまなければもったいない。

 

今週のお題に因んで、「好きな街」でした!

野菜はアタマからシッポまで

野菜を切ったら出てくる 皮やヘタ。捨ててしまわず 冷凍してストックし、色々な素材が集まるとできてしまうのが、野菜だしのスープ。

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野菜だしのスープは、ふわっとやさしい風味がする。もちろん、使う野菜によって色も香りも全然違うのだけれど、そこがまたオモシロイ。玉ねぎの薄皮や人参が多めなら褐色に、大根の葉やネギのアタマが多めなら黄金色に、白っぽい野菜ばかりでも淡い黄色になったりする。じゃがいもの皮が入った時はホクホクした香り、玉ねぎのヘタが多めなら甘い香り。回数を重ねるごとに傾向は読めてくるのだけれど、何も狙うことなく「さて今日はどうなる?」と出来上がりを楽しむのが醍醐味。
説明するまでもないけれど、一応簡単に説明を。

 

(1)野菜のアタマとシッポの用意

f:id:our_table:20181023140644j:plain野菜の皮、ヘタ、芯など、いろいろな「野菜クズ」をミックスしてお鍋に入れたら野菜がかぶるくらいの水を入れる。
この日は冷凍保存していた人参のヘタと皮、玉ねぎのヘタと薄皮、じゃがいもの皮、大根の皮、ほうれん草の根元、りんごの皮、梨の皮。そこに採ったばかりの二十日大根の葉を投入。果物の皮は少々悩んだけれど、ここは思い切って入れてみる。たいてい失敗はない。

(2)煮込む

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お鍋に野菜を入れて水を入れたらコトコト。ただ煮込むだけ。アクが出たらアク抜きを。弱火で10分も煮込めば 淡い色がでているはず。一旦火を止め、ある程度冷ます。(時間がなければ冷ます工程を飛ばしてしまってもいいけれど、この間に味が野菜からじわじわ味も色もでてくるので、できれば10分でも20分でもおやすみタイムを。)冷めたら再び火にかけコトコト。5分も煮込めば十分、もうしっかりダシはでているはず。ここでコトコトは終了。

(3)野菜を取り出す

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野菜を引き上げてみると、お鍋には淡い黄金色のスープが。いい香り!
余力があれば キッチンペーパーを敷いたざるで濾し、急ぐ場合は漉さずに使う。このダシに少々の塩を足せば もう十分。ポトフなんかにしたら最高。コンソメのダシとは全く別物、ふわっとやさしいポトフができるのだ。

煮込む時間・置いておく時間はかかるけど、正直手はかからない。素材を入れて放っておけばできてしまう。野菜は「身」だけじゃなくって「アタマ」から「シッポ」まで。このスープをいただくたび、「やるなぁ」と野菜の懐の深さに驚いてしまう。

キセキのみかん

「愛媛からミカンです、重いですよ」と聞いた瞬間、「あ!」と、一人の顔が思い浮かんだ。荷物の伝票を確認すると、やはり、あのお父さん。宇和島の、あのお父さん。

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宇和島

今年7月、西日本を襲った集中豪雨。
ニュースを見ると、山があちこちで崩落し、青い実をつけたみかんの木が土砂ごと埋まっていた。「家もだけど、畑もね。もうね。。」と言葉が出ないまま、地肌むき出しの山を眺めるみかん農家さん。胸が詰まる。私の身近には りんごやブドウなど たくさんの果物農家の方がいて、りんご畑は見慣れた故郷の景色だ。見慣れた景色がごっそりなくなるって、どんなだろう。農家の方にとって、これは、どんなだろう。苦しくて苦しくて、見てられなかった。テレビを見てモヤモヤしているぐらいなら、と愛媛に行くことを決めた。

許された時間はわずか四日間。ほんの一瞬。ユナイテッドアースというボランティア団体を拠点に、手を必要とする場所に向かう。

 四日間

1日目は、近くの川が氾濫し 家の中に濁流と土砂が押し寄せてきたというお宅で 泥搔き出し。水が引いても 床下には大量の泥が溜まっている。これを掻き出す。

2日目は、ミカン畑へ。360度ミカン畑。周囲を地肌の見えた山が囲む。「あそこもミカン畑だったんだ、崩落しちゃったけど」と説明を受ける。鈴なりに実る青い実を見て ずいぶん地表近くに実るものだなと思っていたら「土砂に埋まっているんだ、このままだと樹がダメになる」という。見える景色全部が埋まっているのだ。スコップで固い土を掘り、幹の根元近くにあるコブを出す。そうしないと窒息してしまうそうだ。1mを超える堆積で、二人一組でも1本に2時間以上かかる。何千本もあるだろう広大なミカン畑、樹を掘り出す作業はその後 止めになった。

3日目。別のミカン畑へ。集落そばの小さなミカン畑。そこには高齢のお父さんが待っていた。「ありがとう、本当にありがとう」と頭を下げながら「大きい石だけ拾ってもらえると助かります」という。見ると、堆積した土砂に混じって岩のような石が畑じゅうに散らばっている。一輪車で回収しながら敷地の外へ運ぶことにした。
ボランティア仲間が「幹を出さなくて大丈夫ですか」と尋ねた。申し訳なさそうにしていたお父さんだが「それじゃ 助かりそうな樹だけ…」と、土砂掘り作業が始まった。幸い土も柔らかい。30〜40センチ掘るとコブが出てくる。幹を傷めたら元も子もないので手で掘った。災害から3週間、土砂の表面には草が生えてきた。それがあまりに馴染んでいて 元々ここが地面だったようにみえる。「草まで生えちゃってね」とお父さん。泣きそうになった。ぐんぐん伸びてくる草が恨めしく思え、ついでに草もむしった。
ミカンの樹は、80年ぐらいの寿命という。「樹齢40年から50年に最高の実をつけよるんです。ここは若い頃に植えてようやく40年、助かるかどうかはわからんけど、もし実ったら食べて欲しい。本当に美味しい実をつけよるから。」そう言われ、住所交換をして別れた。

4日目。 別の農家さんの作業場へ。土砂が流れ込んだそうで、水は引いたが泥や鼻をつく臭いが残っている。作業場のものを一旦全部外に出し、洗浄する。作業場の泥を出し、清掃をした。休憩に頂いた生搾りのミカンジュースは最高だった。

あっという間の四日間。何ができたわけでもない、ただただ 現地の方の話に耳を傾けることしかできない。何も変わらない状況を残したまま、私は地元に帰った。

みかん

お父さんから届いたみかんは、小粒だけどプリプリ。手のひらに乗せるだけで涙が出た。なかには泥のついたのもある。また涙が出る。泣きながら皮をむいて 泣きながらいただいた。最高に美味しい。嘘なく 正直に、今まで食べたみかんのなかでダントツに美味しい。『樹齢40年〜50年が美味しい』は本当だ。あの惨状を よく堪えて実ってくれた。
みかんの樹と、ニンゲンが重なって思えて仕方ない。今がいちばんいい時期らしい。美味しいニンゲンになろう。

 

お題「今日の出来事」 

 

食で季節をつかまえる 松茸ごはん

夕方、突然母がやってきて「これ、おすそ分け」と持ってきてくれたのが松茸。
父が友人からいただいたらしい。高級食材を食べ慣れているわけじゃないから その良さやうんちくみたいなものは正直よくわからないけれど、食を通じて四季を堪能できるのは心のそこから嬉しい。

目と、鼻と、舌と。

年に一度、やるかやらないかの松茸ご飯。お米を研いで水に浸し、昆布を置いてそのまま2時間。醤油・酒・塩を加えて混ぜ合わせ、さらに1時間。そろそろ...と昆布を引き上げ 松茸投入、炊飯開始。うちの炊飯ジャーは50分で炊けるのだけど、20分もすると部屋中になんとも芳しい香りが漂った。そう。松茸は、この香りが最高なのだ!
うちは夕食が遅め。21時半、22時に晩酌後のゴハンがスタートする。ということで、炊き上がりは21:45狙い。さてどうでしょう。

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ジャーを開けた瞬間、夫が「いい匂い!」と声をあげた。
最近SCOPEで買ったばかりの東屋のご飯茶碗によそって三つ葉を載せると、おお、いい感じ。いい彩り。思わず見惚れる。

それにしても、いい香り。空気に乗って 香りがふわふわ泳いでいるようだ。TVで 松茸産地の子どもたちが 給食で出された松茸ご飯を前に「いい匂い!」と言っていたのを「本当にわかる?」と半信半疑に見ていたけれど、これはさすがにわかるか、と納得。

夫婦二人 同時に最初の一口をいただく。
美味しい。味なのか、香りなのか、何がこんなに心地よくさせてくれるのかわからないけれど、美味しい。一口ひとくちに顔がほころぶ。松茸の香りと三つ葉の香りが切れ目なく交代で次々やってくる。

前にもおすそ分けをいただいて松茸ご飯をつくったけれど、こんなに感動したっけ?あの時と今と何が違うんだろう。
食に向き合う気持ちと かけた手間、そして三つ葉と器。つまりは、”気持ち” と ”しつらい”だ。ただただ 突っ走る日々を送っていると、その「瞬間」に目がいかない。器だって、彩だって、「より美味しくいただこう」とする気持ち。味わいは、舌だけじゃなく 鼻も目もはたらいて感じるものなんだから、やっぱり、おざなりにしてはいけないのだ。

忘備録的レシピ

今回のレシピは愛読している「白ごはん」をベースに過去の自己流と合わせたもの。美味しくできたので、またの機会に再現できるよう、メモの意味を含めて書いておこうと思います。

 《材料》
 ・お米 2合
 ・お水(炊飯器で普通に白飯2合を炊くときの分量。きもーち少なめ。)  
 ・松茸(中サイズ) 1本
 ・だし昆布(今回は利尻昆布使用)10㎝角ぐらい 
 ・醤油 大さじ1.5
 ・酒 大さじ1
 ・塩 ふたつまみ
 ・三つ葉 少々

 《作りかた》
(1)普通にお米を研ぐ
(2)普段の炊き加減より きもーち少なめのお水をいれる(炊飯器のお釜にて。)
(3)だし昆布を入れ、2時間ほど置いておく
(4)醤油・酒・塩を入れ、全体をそーっと混ぜる
(5)昆布を取り出して割いた松茸を入れ、30分〜1時間ほど置く(茸は炊けると縮まるので 細かく割きすぎないよう注意。)
(6)炊飯カイシ!
(7)炊き上がったらよく混ぜ、10分ほど蒸らしタイム
(8)器へ。ふんわり、山型。刻んだ三つ葉を散らして食卓へ。

今週のお題「最近おいしかったもの」にちなんで、”松茸ご飯”でした!