食としつらい、ときどき茶の湯

ふつうの暮らしをちょっとよく。背伸びしないで今日からできる、美味しくて心地よい暮らしのヒントを集めています。

家をつくろうとする方・つくられた方の傍で、 家 人 暮らしを永年見守り続けた 元・建築設計事務所 広報担当から
日々の暮らしを見つめるヒントをお届け。家の捉え方、 暮らしの向き合い方を見つけるきっかけになれば嬉しいです。

茶碗の中のご飯の美学

母は食事の盛り付けに少しうるさい。

「美味しそうに盛る」

これが口癖で、子どもでも ごはんの盛り方がきれいじゃないと容赦なくやり直し指令をだしてくる。

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「美味しそうに盛りなさい」

父のごはんは やや大ぶりのお茶碗にたっぷり盛り。一膳めは、お茶碗の縁の高さを少し超え ふんわり山型に盛られる。いくらたくさん食べるといっても、美味しそうに見える量を超えて盛るのは絶対NG。お茶碗の大きさに適した盛りで、ふんわり山型でないと美味しそうに見えない、と母は言う。

洗いたての器によそった一膳めのごはんならやり直しが効くけれど、おかわりのときは お釜にごはんを戻してやり直すわけにもいかない。「たくさんは要らないよ」という父のセリフを聞きながら、少なめごはんを慎重に ふんわり盛る。失敗できない。多すぎると 父が「多い」と不満を漏らす。お茶碗1/3ぐらいの量をふんわり盛って、「このぐらい?」と父に聞き、「もう少し」と言われれば さらに二口分ぐらいをふんわり追加。「このぐらい?」とまた父に聞く。そのやりとりとご飯茶碗を母がじっと見ているものだから、ごはんのおかわりを頼まれるとちいさなプレッシャーを感じながら慎重に慎重に盛っていた。

 

ふんわり、山盛り。

だから、大人になっても定食屋さんに行くとご飯の盛り付けはとても気になる。お茶碗のサイズに合う、ふんわりとした山型のご飯だと「あぁいい感じ」と思うし、しゃもじからパタリと移しただけのような、てっぺんが平らの盛りだと心底がっかりする。「気持ちが入ってないんだな」と食べる前からテンションが下がり、定食の味など感じなくなってしまう。お茶碗サイズを無視した山盛りやぎゅうぎゅう押し込んだような盛りは、『沢山盛ったんだから それでいいでしょ』みたいな投げやりな気持ちを感じて悲しくなる。美味しそうに盛れば 美味しそうに見えて、さぁ召し上がれっていうつくり手の気持ちもお茶碗によそわれるのに。

ご飯茶碗の中に盛られる白いご飯は、ふんわり山盛り。

「美味しそうにみえる盛り」ってあるんです。