朝が始まる前
近ごろ ずいぶん日の出が遅くなった。
夏至前後 2-3ヶ月の日の出は4時台。薄暗いうちから飛び起きて 日の出15分前のピンクの空を眺めて帰ってきても、あたりはまだ静まりかえっている。世の中が動き出すまでのひと時、本を読んだり書きものをしたり。自分と向き合いながら過ごす贅沢な時間があった。ところが近頃 日の出は5時半を過ぎ、行き交う人も増えてきた。早く起きなくても えも言われぬ空を拝めるのは嬉しいけれど、それは同時に 夜明けが人の活動時間に近づくわけで。自分だけが持っていた特権を取られたような なんとも複雑な気持ち。まだ「朝」は始まって欲しくないのだ。
バラガンの朝
何年も前、メキシコの建築家 ルイス・バラガン邸を見学したとき、案内人が言っていたのを思い出す。
「バラガンは、自分の朝食室を西につくった。そこでひとり静かに朝食をとりながら、これから始まる一日に思いを馳せた。」
敬虔なクリスチャンだった彼は、弱い光の差し込む西の窓から緑を眺め、まるで教会のような鎮まりを持つ 小さな朝食室で食事をとったという。朝は東から始まる。すでに"朝"が始まり 喧騒が渦巻く東から離れ、バラガンは未だ静の時間がながれる西に朝食室をつくったのだ。
ひとり静かな朝を求めるその気持ち、よく分かる。「朝」が始まる前のひと時は、なぜか 自分の’声’がよく聞こえる。西に自分の朝食室を持つことはできないけれど、朝が始まる前の 特別なひとときは誰にも奪われたくないものだ。