食としつらい、ときどき茶の湯

ふつうの暮らしをちょっとよく。背伸びしないで今日からできる、美味しくて心地よい暮らしのヒントを集めています。

家をつくろうとする方・つくられた方の傍で、 家 人 暮らしを永年見守り続けた 元・建築設計事務所 広報担当から
日々の暮らしを見つめるヒントをお届け。家の捉え方、 暮らしの向き合い方を見つけるきっかけになれば嬉しいです。

日の出15分前のキセキ

毎朝、世の中が始まる前に公園を散歩する。
眠れないまま朝4時を迎えた6月の終わり。何気なくカーテンの裾から窓の外を見てみると、空が この世のものとは思えないほど美しいピンク色に染まっていた。衝撃。こんな素敵な時間があったことを知らずにうん十年 毎日グゥグゥ寝て過ごしてきたなんて!

それから、この"日の出15分前 闇と光の間の時間"をつかまえたくて毎日散歩に出るように。観察してみると、その日の雲の構成によって空の色はまるで違う。近所じゅうの人を叩き起こして「見ないと一生後悔するよ!!」と騒ぎたくなるほどの空もあれば、「なんだよー」とつぶやく日もある。でも、世の中がまだ始まっていない異次元の世界を独り占めしているような特別感はたまらない。朝の香りがたまらない。

あれから2か月余り。気づけば「日の出15分前」は30分以上遅くなり、世の中が動きだす時間に近づいている。雲に反射し強烈なピンクを放つ場所も、少しずつずれてきている。あぁ 季節は進んでいる。

毎朝、特別な時間を追いかけながら季節の移ろいに気づき、朝の香りをクンクン嗅ぎながら歩く時間は最高だ。今日は思い切り寝坊してしまったけれど(写真は今朝の。)、それでも台風一過の散歩路は最高にいい香り。

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明日こそ、暁けの時間の前に散歩に出るぞ!

素敵な家に 素敵な暮らしが付いてくるわけじゃない

竣工したての現場にて。建物はもちろん外構など敷地全体が調い、醸し出す雰囲気も素敵。お施主さまがお住まいになるまであとわずか。

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長年、設計事務所で 沢山のお客さまに接してきて思うのは、どんな方もその後の すてきな暮らしを思い描いて家をつくるということ。性能や仕上げに視点の向く方もいるけれど、それもご自分の望む暮らしがあればこそ。依頼先や完成する家は違えど、心の中で思い描いているのは「新居で始まる素敵な暮らし」。家というより、そこで始まる新しい暮らしに想像を膨らませているのです。

ところが実際、「素敵な新居 → 素敵な暮らし」とはいかない。手取り足取りプロの指南を受けて理想の家をつくっても、そこから先、暮らす場面にプロはついてこないのです。まさに 生かすも殺すも…の世界。新しくてピカピカのキレイな"ハコ"を渡されたら、そこから先は家族で操縦。何がどうだと素敵なのかわからないまま船を漕ぎ出し、まぁとりあえず…なんて言っているうちに新しくてピカピカの"ハコ"にはモノが溢れ、以前と変わらない雑多な日常が当たり前になっていく。「なんでこうなっちゃったの?」とため息をついている人も多いかもしれません。

繰り返しになりますが、「いい家ができればいい暮らしが付いてくる」わけではありません。そこにはやっぱりそれなりの感性が必要だと思うのです。自力で道筋が見えなそうなら、 家づくり同様 指南を受けるのも大事と思うのです。

早くていい、便利でいい、安くていい、多くていい、を基準に判断されてきた戦後日本の”当たり前”にどっぷり浸かり、知らないうちに育ってしまった感性を少しずつ軌道修正できたなら、「素敵な家で 素敵な暮らし」が叶うだろうし、なにも 新しい家でなくても素敵な暮らしは叶うはず。

一歩ずつ、一歩ずつ。

おばあちゃんの誕生日に。

おばあちゃん94歳のお誕生日。

これまで仕事ばかりで顔を出すこともままならなかったことを猛省し、茶懐石の点心風お昼を用意して会いに行ってきた。

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近頃 外食がむずかしくなってきたので ちょっとでも特別感を味わえたらというこちらの気持ちが読めたのか、「お店より素敵だね」とおばあちゃん。孫がつくってくれたから、とお米一粒ひと粒まで 大事に丁寧に食べてくれる姿に胸にこみ上げるものがあった。

少なめに 柔らかめにと思っていたのに、量も多かったしあれもこれやや固め。味も量も加減もおばあちゃんには決してちょうどいいものではなかったけれど、「孫がつくった」こと自体を丸ごと受けとめ、いただこうとするおばあちゃん。食事って、つくる側が喜ばせるだけじゃなくて、いただく側が喜ばせるということがあるんだなぁと思い知らされた。

料理はまさに"お粗末さまでした"なんだけど、気持ちのやり取りのある素敵な食事タイム。「いただき方」、大事なんだなぁ。

インスリノーマ "100万分の1"のあなたに届ける私の記録 5

【専門医診察】病気の概要

病院へ

2016年7月19日
預かった紹介状を持ち、夫と二人で 別の総合病院の「糖尿病・内分泌内科」へ。先生は、30代前半の女医先生。

「血糖値が低いようですね。今は大丈夫ですか、フラフラしませんか?」と先生。低血糖とわかってから、どの病院でも待合にいるだけで 看護師さんに「大丈夫?」と声をかけられる。普段 このまま生活してきたので 大丈夫?と聞かれることが新鮮で、どの時点で「大丈夫じゃない」と言っていいのか分からないな、と思ったりする。

先生の質問に「大丈夫です」と答えると、「インスリノーマの疑いがあるということなんですね」と話は続く。「ネットで調べたりされました?」と先生。おお、ネットで調べてる前提で話すなんて 今ドキと驚きつつ、「はい、でもあんまり見つけられなくて」と答えた。実際、論文や臨床結果を見かけるぐらいで あとはフェレットの話が多い。

 

インスリノーマって

「インスリノーマって100万人に一人とか二人とか、非常に少ないんです」そう言われ、一瞬 固まった。先生の話によると、本来 ホルモンからの指令を受けて膵臓インスリンを分泌し、血糖値がコントロールされているという。ところがインスリノーマになると 指令が無視され、インスリンが過剰分泌される。原因は小さな腫瘍。小さいくせにインスリンを分泌する機能を持ち、指令を無視してインスリンを出しまくる。つまり、身勝手な行動をする小さいやつが膵臓にくっついているというのだ。

先生は 絵を描きながら 膵臓インスリンの関係、インスリンと血糖値の関係、インスリン分泌の指示命令系統の仕組み、脳の働きに血糖は欠かせないこと、血糖値ごとの体への影響・反応など、時間をかけてじっくり説明をしてくれた。こちらはすっかり『膵臓ツウ』になった気分。話を聞いている分には、ほほう という感じだが、自分事としては捉えられない。心臓や胃や腸と違って"在る"ことすら自覚できない臓器のはなしは なかなかピンとこない。

 

手術すれば治る。けども。

インスリノーマは、腫瘍を摘出すれば治るという。摘出すれば、ということは手術をするということだ。そこに気を取られていたが 話は進む。「特定するまでが大変なんです。腫瘍が小さくて 画像ではわからないので、いろいろな検査の数値を見て特定し、それから腫瘍を探すようになります。探すと言っても簡単ではないんですけどね。検査には大人数が必要なので、そうなったら 大学病院で検査することになります。」前述の"摘出"に気を取られていたけれど、"大人数"と"大学病院"にインパクトがありすぎて気が遠くなる。ますます他人事に思えてならなかった。

「 今の時点では、インスリノーマの可能性が高いというだけで断定ではありません。指揮命令系統の異常ということもありえますし、他の可能性もありますからね。まずは、インスリノーマを疑いながら 多角的に見ていきます。検査には体への負担や危険も伴いますので病院に入院していただいて検査するようになります。」

もう誰の話かすっかりわからなくなって ぽわんとした気分で聞いていたら、隣にいた夫が「わかりました。宜しくお願いします。」と答えた。そうだ、私だ。

 

 注意事項

「とりあえずは、低血糖発作が起きないよう 常にブドウ糖を持ち歩くようにしてください。おかしいな、と思ったらすぐに摂取する癖をつけてください。運転中に突然意識を失う事だってありますからね。困ることや不安があれば、いつでも連絡ください。」

そう、とりあえず1ヶ月後の検査入院まで 低血糖症状を起こさないよう対策しなくてはいけない。看護師さんから、病院の売店ブドウ糖を売っていると教えられ、売店で小包装になった砂糖の塊のようなものを買い、入院手続きの説明を受けてから病院を後にした。

帰りみち、ドラッグストアでも「ブドウ糖」を見つけ買い足したが、「これって つまり砂糖だな」と思い、種類を変えて気分を紛らわすため 黒糖も買った。手術がどうの、検査がどうの の話はうっすら忘れ、頭の中は『糖を切らさない!』という使命でいっぱいだ。

 

インスリノーマ "100万分の1"のあなたに届ける私の記録 4

【診察開始】

初めての診察

受診した病院は、何年も健康診断を受け続けている 前述の総合病院。あの問診の医師が担当だったらどうしようとも思ったが、健診と診察は別と信じ、過去の健診データを持つこの病院に行こうと決めた。

2016年7月13日
夫婦共に休日だったので 夫にも付き合ってもらうことに。サラダとパン、ベーコンエッグを食べ、コーヒーで一息ついてから 病院へ。窓口で「何科に行けばいいですか?」と聞くと「とりあえず内科」と言われ、従う。
この病院では、事前に看護師さんの問診を受ける。しびれが頻発すること、時々意識が遠のくこと、食べれば回復している気がすること、健診でしびれを訴えたけどスルーだったこと、健診結果に「低血糖の疑い」とあること、自分ではその症状が当てはまる気がすること などを伝えた。ふむふむと よく話を聞いてくれる看護師さんに メモしていた近頃の症状と 思いの丈、ついでに健診の愚痴を話したら とてもスッキリした。医師を前にしたらここまで話せないかもしれない。その場で採血し、診察室に呼ばれるのを待った。

診察室に入ると、40代の医師が待っていた。よかった、健診とは違う先生だ。事前申告の症状をひと通り確認すると、PC画面に映し出された健診データを見ながら「うちの病院でしたか、申し訳なかったですね」と先生。それだけで 救われた気分だ。「血液検査結果を待つ間に、造影剤のMRIも撮ってきてもらっていいですか」そう言われ、夫を待合に残し、1人撮影室に向かった。

この頃、実は しびれや意識が遠のくことは日常茶飯事になっていて、「明らかな異常」を自覚していた。ネットで調べて以来 常時飴をなめていたが、この日は診察だからと飴を控え、持っていなかった。MRIの部屋に入った頃には すでに症状が始まっていて、まずいかもと思ったが「ここは病院だから大丈夫」と言い聞かせ、寝台に横たわる。ヘッドホンをし、ものすごい振動を感じながらドームの中に入っていく。造影剤を投与された。体の中を熱い液体が走るのを感じて動揺する。次第に何が何だかわからなくなり、気が狂いそうになる。心臓がバクバクする。意識が遠くなっていく。このまま死んだらどうしよう。…40分後、ほとんど気絶したような状態で検査を終えた。検査室を出て廊下の手すりにつかまっていたところ、さっきの看護師さんが走ってきた。「大丈夫ですか、探していたんです!血糖値がものすごく低くて、先生が 危ないからすぐに糖を摂取させるようにっておっしゃるけど どこにいるかわからなくて!」と抱きかかえられた。内心、MRI撮ってこいって言ったじゃん…と思ったが、同時に助かった、とも思った。時間は11時半。朝食からわずか3時間だか、もうそれほどまでに 持ち時間が短くなっていたのだ。普段 どれだけ飴に助けられていたのだろうか。

 

採血結果

看護師さんに抱えられながら、夫の待つ待合へ。夫は何事かと驚いていたが 普段ここまでの症状を見たことがないから、検査で何かあったのかと思ったようだった。看護師さんに「ダンナさん、すぐに飲むものか食べるもの 何か買ってきてください!」と促され、夫は訳が分からず売店に走って 微糖のミルクコーヒーを買ってきた。び、微糖…と思ったけれど、夫は何も知らない。微糖でも無糖よりは断然いい。少し回復した頃、再び診察室に呼ばれた。

「朝 食べたんですよね?10時すぎに採血してこれしかないなんて。いまは大丈夫ですか?!」と先生。先生の手元の検査結果表には、「インスリン 3.1μU/ml」「血糖 47mg/dl」と書かれた欄にボールペンで赤い線が引かれ、脇に 「3.1x6/47/18 = 18.6/2-6 = 7.15」と走り書きされていた。「低いって事ですか?」と夫。「低いですよ、朝 食べたのにそんなだなんて」と被せ気味に看護師さんが答えた。先生と看護師さんの急き立てるような話しぶりに、結構よくない状態なんだな、と自覚した。

「インスリノーマの可能性があります。いいですか、これから紹介状を書きます。専門の先生のいる病院に行ってください。多分入院して検査することになると思います。」

低血糖という言葉を頼りに 薬か何かをもらうつもりで来たはずが、予想外の展開。隣で聞いている"寝耳に水"の夫はもっと衝撃を受けただろう。帰りがけ、更に「今日のお会計は17,520円です」と言われ 目が飛び出そうになりながら 病院を後にした。
帰り道、夫に「いろいろ ごめん」と言いながら帰った。症状を共有していなかったこと、どうも大事になってしまいそうなこと、いろいろな意味を含んで謝った。夫は、「まぁいいさ、言われる通り 専門の先生のところに行くしかないさ」といい、ここから2人で「インスリノーマってなに?」と調べる毎日が始まった。

 

 

インスリノーマ "100万分の1"のあなたに届ける私の記録 3

【病院に行くまで】診療科をなやむ

健康診断

2014年10月、健康診断の問診で しびれについて話してみた。しびれを感じるようになってから もうだいぶ経ってのことだ。ところが 問診医は「そうですか」と問診欄に『しびれ』と書くだけ。なんだ やっぱり気にするほどのことでもないのか、と思った。


翌、2015年12月の健診。この頃には色々な症状が連打で起きるようになっていて、"病院"という言葉がチラついていた。ところがやはり問診医は、「そうですか」とだけ。まったく、この問診に意味があるのだろうか。○○科を受診してみては という返答を期待していたのに。ただ、送られてきた通知には 欄外に『空腹時血糖 低め』と書かれていた。血糖値は51。だからどうとは書かれていないし 51がどんなかもわからない。それより、問診欄に『本人自覚症状:口のまわりがしびれ その後文字認識できず会話が困難になる』と書かれていることの方が気になった。なぜこの申告でスルーなんだろう。

問診で 診療を勧められなかったとはいえ、頻発・重症化する症状を 黙認していられなくなり、ネットで調べてみた。まずは ほぼ毎日現れるしびれについて。脳の疾患、骨髄の疾患…。該当するものが 多岐にわたり、話が広がりすぎてますます何科に行けばいいかわからない。
ある時、しびれの原因の一つに"低血糖"とあるのを見つけた。見覚えのある"低血糖"、確か 健診結果に記載のあった言葉だ。今度は"低血糖"について調べてみた。『血糖値が下がり しびれなどの症状が現れる。糖を摂取すると回復する。』とあった。『血糖値が下がり続けると 頭痛や動悸、さらには 知覚認識の異常や意識の混濁、失神などを引き起こす』と続く。「あ」と思った。おかしいと思っていた症状はみんな繋がっているのかもしれない。確証はないが 書かれていることすべてがあてはまるように思え、まずは"低血糖"にアタリをつけて病院に行くことにした。

 

 

インスリノーマ "100万分の1"のあなたに届ける私の記録 2

【病院に行くまで】さまざまな症状

しびれ

最初に症状が始まったのは、2-3年前。気づくと 17時ごろ 口元がビリビリするようになっていた。舌先がビリビリすることもある。「疲れかな」と、PCに向かいながら チョコレートをつまみコーヒーを飲んでいるうちにしびれは消える。

あるとき お風呂に入ると決まって両手の指先がしびれていることに気づいた。考えてみれば かなり前からだ。まるでお尻の下に手をおいて長い間座っていたよう。口元や舌先、足裏がしびれることもある。もやもやしながら お風呂からあがり、遅い夕食の支度を始める。

食事のときに夫に話そうと思うのだが、味見やつまみ食いをしながら支度をしていると 知らないうちにしびれは消え、話そうと思っていたことすら忘れてしまう。次第にほぼ毎日表れる症状が当たり前になり、慣れていった。

日々同じようなリズムで過ごしていれば、しびれる時間は決まってくる。ただ、身体的負荷が大きいこと・頭を使うこと・神経を使うことが重なれば、いつもとは違うタイミングでしびれることもある。パターンが読めないうえ 知らない間に消えているので しびれを意識しにくいという厄介さもある。
私の場合、「間食は体型維持の敵!」と極力間食を避けていたのが 頻繁に症状を引き起こした原因かもしれない。ただ、間食が少ないから症状が現れやすく、見つかりやすかった、とも言えるかも。

 

頭痛

しびれが出た時、ついでのように現れるのが頭痛。頭痛薬の残り香が苦手で 頭痛薬は滅多にのまない。肩を揉む(凝っているせいかもしれないから)、頭を揉む(少しラクになる)、後頭部をパンパン叩く(見ている人はコワイらしいが 本人的にはラクになる)という対処法で過ごしていたが、いつからか チョコを食べるとラクになることに気づく。「ムズカシイ話をするときは、甘いもの食べて血糖値を上げないと集中力が途切れるよ」と誰かが言っていたことから、『ムズカシイ話をする→頭が痛くなる→チョコレートを食べる→ラクになる』 そんなイメージが湧き、実際そうしてみると本当にラクになった。そう。単純に 本当の低血糖症状にチョコの糖が効いていただけなのだけど。

次第に 低血糖症状が頻繁化・重症化していく際 いつも頭痛を伴っていたため、「チョコレートを食べるとラクになる」というイメージが他の症状にも電波していったように思う。

 

文字が認識できない

夕方のしびれが常態化した後、時折 起きるようになった症状が、「文字が文字として認識できない」という症状。やはり17時頃。PCで文書を作成していると、突然画面が文字化けしたように見える。日本語の文書を打っていたはずが、突如 文字化け記号の羅列に変化する。アイコンなどはいつも通り。文字だけがおかしいのだ。仕方ないので 再起動をかけ、コーヒーを飲んだりチョコレートを食べながらPCの復活を待っていた。

あるとき、「また文字化け!」という 私のPCを覗いた同僚が「文字化けしてないよ?」と言ってきた。彼女が 文字化けで読めないはずの文章を読み上げる。驚いた。「疲れてるんだよ、甘いものでも食べて」と諭されたが、内心怖かった。自分には、「文字化け」にしか見えないのだ。チョコレートを食べて少しすると、"文字化け"は普通の文字に直っている。「疲れ?」と思いつつも、さすがに脳の異常を疑った。不安で 脳神経外科に電話してみたところ、「症状がでている時に診察を」という。そのタイミングをつかまえて医者にいくなんて、結構 長期戦になりそう…と半ば受診を諦めるような気持ちでいた。

 

何を言っているのかわからない

しびれ、頭痛、文字が認識できない、という症状が度々起きるようになった頃、続けて「相手の話が全くわからない」という現象が起きるようになった。お客さんを前にしている商談時は、なぜかしびれや頭痛の前兆なく 突然起きた。

序盤は 普通に会話をしているが、30分もすると 知らない国のラジオを流し聞きしているような感覚になる。相手が何を言っているのか さっぱりわからない。目の前にいるのに、画面を通じて知らない国の言葉を話す人を見ているよう。

「どうしよう、まずい。何を言ってるのか全然わからない。」感情だけは生きていて、思考回路が寸断されたような感覚。折を見て中座し、一拍置きに 陰に行く。頭も痛い。チョコでも食べて落ち着こう。そうこうしているうちに 元に戻り、何でもなかったかのように商談は続けられるのだが、次第に 1時間がタイムリミット と自覚するようになっていく。もう無理だ、脳神経外科に行くしかないと思うが、なかなか決断できないまま 時間が過ぎていった。

 

パニック

パニックは、二度あった。
しびれ、頭痛に続いて脂汗が出て、心臓がバクバクし始める。うまく息ができない。思考が停止し始め、今何をしていたのか、どこにいるのかわからなくなり、パニックに陥る。グワングワンという音が耳の奥で聞こえる気がして、フラフラ、グラグラする。自分が非常事態にあることは自覚していて、「どうしよう、どうしよう…」という感情だけが残され、意識が遠のいていく。

一度めのパニックは、ずいぶん前。昼食をとり損ね、そのまま会議にでたら思いがけず長丁場。頭痛がひどくなり、話も頭に入ってこない。脂汗が出て心臓がバクバクし、頭が混乱する。「これはやばい」と思うが、自分で『会議室から出る』という判断ができない。誰かが通風しようとドアを開けたのを機に部屋から飛び出し、無意識にチョコをいくつも食べた。気づけば何事もなかったかのように症状が消えていた。
二度めは 色々な症状の因果関係を感じ始めていた頃。疲れて帰宅した直後に起こった。救急車を呼びたいがどうすれば救急車がくるのか思いつかない。横になってみたものの部屋中が回り意識が遠のいていく。なぜか何かを摂取しなければいけない気がして 目についた栄養ドリンクを飲んだ。すると みるみる症状が消えた。何だったんだろう、と不思議でならない。でも、この一件で、「絶対におかしい」と自覚し、病院行きを決意した。

 

さまざまな症状が重なると。。

しびれに始まり、頭痛や 、息切れ、知覚認識の異常や発語の異常、パニック、いろいろなことが起きるが、最初は しびれや頭痛が ちょこちょこ出てくる程度。そのうち、動悸や息切れ、読めない、話がわからない、言葉が出ない、パニックや意識を失うなどの症状も現れるのだが、それぞれ単発で現れることもあるし 何かを口にしていれば回復するので、こうした症状に関連性があるとには気づきにくい。

しびれが気になる時期は 神経の関係や皮膚の過敏症を疑うし、頭痛やちょっとした意識朦朧は 水分不足を疑う。文字が認識出来ない時には脳の異常を、動悸や息切れが頻発すれば 内臓疾患や過労によるストレス、パニックが起きると精神疾患を疑う。それぞれ別の症状と捉えているので、該当しそうな診療科に行っても そのほかの症状について言及することはないだろう。つまり、どの症状をピックアップするかによって診断は変わり、なかなか「インスリノーマ」にはたどり着かないのだ。

私の場合、症状が重症化するまで(二度目のパニックが起きるまで)病院に行かなかった。症状それぞれが何科に該当するかわからないし、気づけば何事もなかったかのように元に戻っているので たまたま調子が悪かった・疲れがでた ということにして放置していたのだ。ただ、これが功を奏した面もあったりする。
血糖値の低いことが常態化すると、次第に慣れ、ある程度そのまま生活できるようになってしまうが、ある時点で限界を超え、いろいろな症状が続けざまに出てくる。しびれ、息切れ、知覚認識の異常などが連続して現れる。そうすれば必然的に"一連のもの"として捉えるようになる。症状が気になりだしてからは、「17:30 頭痛→フラつき、19:30 動機・錯乱」などと 時間と経過をメモするようになった。気づけば消えている症状ゆえ、書き残しておかないと いざ医者に行っても説明できないと思ったのだ。