食としつらい、ときどき茶の湯

ふつうの暮らしをちょっとよく。背伸びしないで今日からできる、美味しくて心地よい暮らしのヒントを集めています。

家をつくろうとする方・つくられた方の傍で、 家 人 暮らしを永年見守り続けた 元・建築設計事務所 広報担当から
日々の暮らしを見つめるヒントをお届け。家の捉え方、 暮らしの向き合い方を見つけるきっかけになれば嬉しいです。

母のお弁当三原則

母のお弁当

高校生になってお弁当を持っていくようになると、母は 父のお弁当に加えて私のお弁当もつくってくれるようになった。前にも書いたが、母は「盛り」にうるさい。決して豪華でも 特別手が込んでいるわけでもない 普通のお弁当だが、娘から見ても母のつくるお弁当はとても自然で、美味しそうに見えた。明らかに他の友人のお弁当より「美味しそう」なのだ。

ときどき「自分で詰めてみたら」と言われ、 テーブルに並んだおかずをお弁当箱に詰めることがあった。母がつくったおかずだから味は保証されている。好きなおかずを自由にとって、自分の小さなお弁当箱に詰める。詰め終わると父のお弁当の隣に並べて まだ「息」の抜けきらないご飯の熱を冷ます。
ふたつのお弁当を並べてみると、その違いに愕然とする。父のお弁当はいつもどおり美味しそう、私のお弁当はどこぞのものかと思うほど違った印象。全く同じおかずが入っているはずなのに。母も私のお弁当を覗き込んで、「美味しそうに見えない」と辛口否定。わかっています、自分でも。でもなぜだろう。

母曰く、私のお弁当は「苦しそう」だという。確かに私のお弁当は詰めすぎで、なかには変形し かろうじて ウウッと顔を出しているおかずもある。かといって、詰めすぎないように意識すれば寂しかったりスカスカしたり。持ち歩いてもおかずが動かない、母のような "ふんわり詰まったお弁当"は難しい。

 

母のなかの お弁当ルール

『これがルール』と言われたわけではないけれど、私が詰めるたび 繰り返し母が注意していたことがある。「味の組み合わせ」と「色」、それから「詰め方」だ。

味の組み合わせとは、食感や味に強弱をつけるということ。メインのおかずの味の濃さに合わせて サブのおかずの味を調整する。単調だったり どれもパンチがあったりすると組み合わせとしてよろしくない。
一度、ハンバーグだのコロッケだの、好きなおかずだけを詰めたことがある。母に「逃げ場がない」と酷評されながら そのまま持っていって食べたところ、なるほど逃げ場がなかった。濃い味のあとはさっぱりしてから次に行きたいのだ。

とは、彩りで栄養バランスを確認するというもの。白(ごはん)・茶(メイン)・緑(葉ものなど、緑色の野菜)・赤(人参やトマトなど 濃色の野菜)・黄(卵系)を意識しておかずを用意するとざっくり栄養バランスが取れるという。確かに 茶色や黄色ばかりでは、カロリー高め・塩分多めで「逃げ場のない」お弁当になってしまう。五色がむずかしくても、最低三色。これは今も心に刻んでいる。

詰め方。蓋を開けたときの姿を意識する。こんもり山盛り 蓋の閉まらないインスタ映え弁当とは意図がちがう。五色のおかずが生きるよう、彩りバランスを考える。そして、詰めすぎない・スカスカさせない。おかずを立てたり 斜めに重ねてみたり。不安定ならキャベツの千切りをクッションがわりに敷いてみるなど、持ち歩きの揺れで動いてしまわないよう おさまりよく 立体的に詰めていく。

 

お弁当思想を引き継ぐ

今はすっかりお弁当ブーム。豪華さやサプライズ性などキャッチーなお弁当が流行っているが、母のつくるお弁当はそういうのとは全然違う。力みのない、普段着の、いつもの。で、美味しそう。毎日まいにち 自然にそれが繰り返される。私はやっぱりそういうお弁当が好きだ。

夫のお弁当をつくるようになった今も、未だ"詰めすぎ傾向"は治らないのだけれど、高校生の頃より 少しはマシになったかもしれない。力みのない、普段着の、それでいて ふんわり美味しそう。そんなお弁当を目指して今日も夫のお弁当で練習を重ている。

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キキの街、ドゥブロブニク

キキの街

宮崎駿監督のジブリ映画、「魔女の宅急便」が好きな女子は多い。私もその一人。
13歳で一人立ちしたキキが辿り着いたのは 海のそばの小さな街。喜んだり塞ぎ込んだり この年頃ならではの描写に 自分を重ねた人も多いのでは。みんなこんな甘酸っぱい時期を通って大人になっていく。
それにしても、この街はどこなんだろう。何年もそんな疑問を持っていたのだが、あるとき一枚の写真に釘付けになった。クロアチアのドゥブロブニク。青い海に突き出すように街があり、オレンジ色の屋根が続いている。調べてみると、魔女の宅急便の舞台と言われているらしい。舞台と言われる街は他にもあるが、自分と重ね合わせて見ていたキキは ここにいるような気がして、「いつか行きたい」と思うようになった。

いつか、は 今。

それからしばらくして、病気が発覚した。聞いたこともない病気で 検査入院を繰り返した後 大きな手術を受けることになった。ひと一倍健康と思っていただけに まさか生死を彷徨うことになるとは思ってもみなかったが、「人ってあっさり死んでしまったりするものなんだな」と思い知らされるようだった。

回復して退院が決まると 「いつか と思うことは すぐやろう」と決心した。退院から8か月後、おなかを縦に走る縫い目が痛いぐらいで 経過良好 とわかると、ありったけのお金(ないけど。)をかき集め、夫とドゥブロブニクに向かった。

憧れの、ドゥブロブニク

日本を出て30時間余。長いトランジットを経てようやくドゥブロブニクに降り立った。城壁に囲まれた小さな街。オレンジの屋根が続いた先には”紺碧”としか表現のしようのない青い海。とうとう来てしまった!

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9月とはいえ ヴァカンスシーズンの尾をひき 街は人で溢れている。宿は「ソベ」と呼ばれる民家の一室を借りた。ここまで来て普通にホテルじゃもったいない。住むようにこの街を味わいたいのだ。石畳の道、長い階段、頭の上をそよぐ洗濯物、紺碧の海。どれも”あの”世界だ。

ところが夜になると表情が一変する。明かりが灯りどこからともなく音楽が聞こえてきて、大人の雰囲気が漂う。音楽に耳を傾けながら、料理を楽しんだり語り合ったりワイン片手に踊ったり。若い人も年配の人もみんな自由に楽しんでいる。テラスの一角で演奏される心地よいクラプトンを聴きながら、「今を楽しまないと もったいないな」と思った。

13歳のキキを探すつもりでいたけれど、キキだってもう大人になっている。どこで何をしているんだろう。そのへんのテラスでワインを飲んでいるかもしれない。
大人になったキキの住む街は、大人になった迷える元・少女にもやさしくて、「そんなに踏ん張らなくていいのよ」と語りかけてくれるようだった。来てよかった。何かが吹っ切れるような気がした。キキがいたかどうかはわからないけれど、間違いなく、13歳の少女は大人になって、躊躇しないで飛びこむこと そして 今を楽しむことが何より大事だと悟ることができた。

今は今しかないのだ。人生いつ終わるかわからないんだから、全力で楽しまなければもったいない。

 

今週のお題に因んで、「好きな街」でした!

野菜はアタマからシッポまで

野菜を切ったら出てくる 皮やヘタ。捨ててしまわず 冷凍してストックし、色々な素材が集まるとできてしまうのが、野菜だしのスープ。

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野菜だしのスープは、ふわっとやさしい風味がする。もちろん、使う野菜によって色も香りも全然違うのだけれど、そこがまたオモシロイ。玉ねぎの薄皮や人参が多めなら褐色に、大根の葉やネギのアタマが多めなら黄金色に、白っぽい野菜ばかりでも淡い黄色になったりする。じゃがいもの皮が入った時はホクホクした香り、玉ねぎのヘタが多めなら甘い香り。回数を重ねるごとに傾向は読めてくるのだけれど、何も狙うことなく「さて今日はどうなる?」と出来上がりを楽しむのが醍醐味。
説明するまでもないけれど、一応簡単に説明を。

 

(1)野菜のアタマとシッポの用意

f:id:our_table:20181023140644j:plain野菜の皮、ヘタ、芯など、いろいろな「野菜クズ」をミックスしてお鍋に入れたら野菜がかぶるくらいの水を入れる。
この日は冷凍保存していた人参のヘタと皮、玉ねぎのヘタと薄皮、じゃがいもの皮、大根の皮、ほうれん草の根元、りんごの皮、梨の皮。そこに採ったばかりの二十日大根の葉を投入。果物の皮は少々悩んだけれど、ここは思い切って入れてみる。たいてい失敗はない。

(2)煮込む

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お鍋に野菜を入れて水を入れたらコトコト。ただ煮込むだけ。アクが出たらアク抜きを。弱火で10分も煮込めば 淡い色がでているはず。一旦火を止め、ある程度冷ます。(時間がなければ冷ます工程を飛ばしてしまってもいいけれど、この間に味が野菜からじわじわ味も色もでてくるので、できれば10分でも20分でもおやすみタイムを。)冷めたら再び火にかけコトコト。5分も煮込めば十分、もうしっかりダシはでているはず。ここでコトコトは終了。

(3)野菜を取り出す

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野菜を引き上げてみると、お鍋には淡い黄金色のスープが。いい香り!
余力があれば キッチンペーパーを敷いたざるで濾し、急ぐ場合は漉さずに使う。このダシに少々の塩を足せば もう十分。ポトフなんかにしたら最高。コンソメのダシとは全く別物、ふわっとやさしいポトフができるのだ。

煮込む時間・置いておく時間はかかるけど、正直手はかからない。素材を入れて放っておけばできてしまう。野菜は「身」だけじゃなくって「アタマ」から「シッポ」まで。このスープをいただくたび、「やるなぁ」と野菜の懐の深さに驚いてしまう。

キセキのみかん

「愛媛からミカンです、重いですよ」と聞いた瞬間、「あ!」と、一人の顔が思い浮かんだ。荷物の伝票を確認すると、やはり、あのお父さん。宇和島の、あのお父さん。

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宇和島

今年7月、西日本を襲った集中豪雨。
ニュースを見ると、山があちこちで崩落し、青い実をつけたみかんの木が土砂ごと埋まっていた。「家もだけど、畑もね。もうね。。」と言葉が出ないまま、地肌むき出しの山を眺めるみかん農家さん。胸が詰まる。私の身近には りんごやブドウなど たくさんの果物農家の方がいて、りんご畑は見慣れた故郷の景色だ。見慣れた景色がごっそりなくなるって、どんなだろう。農家の方にとって、これは、どんなだろう。苦しくて苦しくて、見ていられなかった。テレビを見てモヤモヤしているぐらいなら、と愛媛に行くことを決めた。

許された時間はわずか四日間。ほんの一瞬。ユナイテッドアースというボランティア団体を拠点に、手を必要とする場所に向かう。

 四日間

1日目は、近くの川が氾濫し 家の中に濁流と土砂が押し寄せてきたというお宅で 泥搔き出し。水が引いても 床下には大量の泥が溜まっている。これを掻き出す。

2日目は、ミカン畑へ。360度ミカン畑。周囲を地肌の見えた山が囲む。「あそこもミカン畑だったんだ、崩落しちゃったけど」と説明を受ける。鈴なりに実る青い実を見て ずいぶん地表近くに実るものだなと思っていたら「土砂に埋まっているんだ、このままだと樹がダメになる」という。見える景色全部が埋まっているのだ。スコップで固い土を掘り、幹の根元近くにあるコブを出す。そうしないと窒息してしまうそうだ。1mを超える堆積で、二人一組でも1本に2時間以上かかる。何千本もあるだろう広大なミカン畑、樹を掘り出す作業はその後 止めになった。

3日目。別のミカン畑へ。集落そばの小さなミカン畑。そこには高齢のお父さんが待っていた。「ありがとう、本当にありがとう」と頭を下げながら「大きい石だけ拾ってもらえると助かります」という。見ると、堆積した土砂に混じって岩のような石が畑じゅうに散らばっている。一輪車で回収しながら敷地の外へ運ぶことにした。
ボランティア仲間が「幹を出さなくて大丈夫ですか」と尋ねた。申し訳なさそうにしていたお父さんだが「それじゃ 助かりそうな樹だけ…」と、土砂掘り作業が始まった。幸い土も柔らかい。30〜40センチ掘るとコブが出てくる。幹を傷めたら元も子もないので手で掘った。災害から3週間、土砂の表面には草が生えてきた。それがあまりに馴染んでいて 元々ここが地面だったようにみえる。「草まで生えちゃってね」とお父さん。泣きそうになった。ぐんぐん伸びてくる草が恨めしく思え、ついでに草もむしった。
ミカンの樹は、80年ぐらいの寿命という。「樹齢40年から50年に最高の実をつけよるんです。ここは若い頃に植えてようやく40年、助かるかどうかはわからんけど、もし実ったら食べて欲しい。本当に美味しい実をつけよるから。」そう言われ、住所交換をして別れた。

4日目。 別の農家さんの作業場へ。土砂が流れ込んだそうで、水は引いたが泥や鼻をつく臭いが残っている。作業場のものを一旦全部外に出し、洗浄する。作業場の泥を出し、清掃をした。休憩に頂いた生搾りのミカンジュースは最高だった。

あっという間の四日間。何ができたわけでもない、ただただ 現地の方の話に耳を傾けることしかできない。何も変わらない状況を残したまま、私は地元に帰った。

みかん

お父さんから届いたみかんは、小粒だけどプリプリ。手のひらに乗せるだけで涙が出た。なかには泥のついたのもある。また涙が出る。泣きながら皮をむいて 泣きながら頬張った。最高に美味しい。嘘なく 正直に、今まで食べたみかんのなかでダントツに美味しい。『樹齢40年〜50年がいちばん美味しい』は本当だ。あの惨状を よく堪えて実ってくれた。
みかんの樹と、ニンゲンが重なって思えて仕方ない。今がいちばんいい時期らしい。美味しいニンゲンになろう。

 

お題「今日の出来事」 

 

食で季節をつかまえる 松茸ごはん

夕方、突然母がやってきて「これ、おすそ分け」と持ってきてくれたのが松茸。
父が友人からいただいたらしい。高級食材を食べ慣れているわけじゃないから その良さやうんちくみたいなものは正直よくわからないけれど、食を通じて四季を堪能できるのは心のそこから嬉しい。

目と、鼻と、舌と。

年に一度、やるかやらないかの松茸ご飯。お米を研いで水に浸し、昆布を置いてそのまま2時間。醤油・酒・塩を加えて混ぜ合わせ、さらに1時間。そろそろ...と昆布を引き上げ 松茸投入、炊飯開始。うちの炊飯ジャーは50分で炊けるのだけど、20分もすると部屋中になんとも芳しい香りが漂った。そう。松茸は、この香りが最高なのだ!
うちは夕食が遅め。21時半、22時に晩酌後のゴハンがスタートする。ということで、炊き上がりは21:45狙い。さてどうでしょう。

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ジャーを開けた瞬間、夫が「いい匂い!」と声をあげた。
最近 買ったばかりの東屋のご飯茶碗によそって三つ葉を載せると、おお、いい感じ。いい彩り。思わず見惚れる。

それにしても、いい香り。空気に乗って 香りがふわふわ泳いでいるようだ。TVで 松茸産地の子どもたちが 給食で出された松茸ご飯を前に「いい匂い!」と言っていたのを「本当にわかる?」と半信半疑に見ていたけれど、これはさすがにわかるか、と納得。

夫婦二人 同時に最初の一口をいただく。
美味しい。味なのか、香りなのか、何がこんなに心地よくさせてくれるのかわからないけれど、美味しい。一口ひとくちに顔がほころぶ。松茸の香りと三つ葉の香りが切れ目なく交代で次々やってくる。

前にもおすそ分けをいただいて松茸ご飯をつくったけれど、こんなに感動したっけ?あの時と今と何が違うんだろう。
食に向き合う気持ちと かけた手間、そして三つ葉と器。つまりは、”気持ち” と ”しつらい”。ただただ 突っ走る日々を送っていると、その「瞬間」に目がいかない。器だって、彩だって、「より美味しくいただこう」とする気持ち。味わいは、舌だけじゃなく 鼻も目もはたらいて感じるものなんだから、やっぱり、おざなりにしてはいけないのだ。

忘備録的レシピ

今回のレシピは愛読している「白ごはん」をベースに過去の自己流と合わせたもの。美味しくできたので、またの機会に再現できるよう、メモの意味を含めて書いておこうと思います。

 《材料》
 ・お米 2合
 ・お水(炊飯器で普通に白飯2合を炊くときの分量。きもーち少なめ。)  
 ・松茸(中サイズ) 1本
 ・だし昆布(今回は利尻昆布使用)10㎝角ぐらい 
 ・醤油 大さじ1.5
 ・酒 大さじ1
 ・塩 ふたつまみ
 ・三つ葉 少々

 《作りかた》
(1)普通にお米を研ぐ
(2)普段の炊き加減より きもーち少なめのお水をいれる(炊飯器のお釜にて。)
(3)だし昆布を入れ、2時間ほど置いておく
(4)醤油・酒・塩を入れ、全体をそーっと混ぜる
(5)昆布を取り出して割いた松茸を入れ、30分〜1時間ほど置く(茸は炊けると縮まるので 細かく割きすぎないよう注意。)
(6)炊飯カイシ!
(7)炊き上がったらよく混ぜ、10分ほど蒸らしタイム
(8)器へ。ふんわり、山型。刻んだ三つ葉を散らして食卓へ。

今週のお題「最近おいしかったもの」にちなんで、”松茸ご飯”でした!



暮らしのなかの日々の花「センニチコウ」

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センニチコウ。夏から秋にかけて、長い間咲き続けることから「千日香」と名付けられたそう。センニチソウともいうらしい。

 

花のある暮らし

このお花、設計事務所時代から慣れ親しんだものの一つ。完成したばかりの殺風景な家に人さまをお迎えしたいとき、所長の奥さんが庭の草花を小さな花器に挿し、「しつらい用に」と持たせてくれた。センニチコウはこの時期よく登場し、後々 事務所でも長く楽しめたので 愛着もひとしお。こうして小さな花器におさまると、かわいいのに楚々として見えるところがまた魅力的。

正直、昔から特別 花好きだったわけではない。むしろ、女性にしては関心の薄い方。ところが、茶席のしつらいや 設計事務所ならではの美意識に 日々触れるうち、次第に 花のある空間とない空間での モノゴトの印象や伝わり方の違い、しつらい方による気分の違いに気づくようになっていった。

今は、自宅の玄関や廊下の一角、洗面台やトイレの窓台など、ちょっと寂しいところ、行き止まり感・行き詰まり感のあるところに花器を置いている。生けた花が終わりに近づくと 実家の庭で草花を頂戴して花器に生け、家じゅうウロウロしながらベストポジションを探す。場所が決まれば「じゃ、ここね」と声をかけ、その一帯の空間をアゲてくれるよう暗示をかける。こんなに小さなお花や花器でも、さっきまで無機質でグレーがかってみえた空間が 急に息を吹き返したように色味がかって見えるから不思議。

 

生きているもの・色のあるもの

先日、ある企業におじゃました時のこと。初めてだから ついキョロキョロ見てしまうのだけれど、なんとも、なんともなんとも殺風景で驚いた。作業するだけの場所と割り切ってのことかもしれないけれど、それにしたって色がない。生きてるものがない。ここに慣れたら 感性はフタを閉じてしまうのでは、と案内してくれた人を案じる気持ちすら湧いた。

この片隅に鉢を置いたら、ここに台を置いて花を置いたら…と、妄想で”生きてるもの”をそこに置く。絵はここに、飾り物はここに。妄想が止まらない。今度訪ねるときに勇気を出して言ってみようか?

「ここに お花を置いてみてはどうでしょう」

いやー、言えない。余計なお世話が過ぎるもの。でも知ってほしいなぁ、生きているもの・色のあるものを置くだけで 息を吹き返したように空間は変わるんです。それにいちばん影響を受けるのはニンゲンなんです。

 

 

朝が始まる前に 〜バラガンの朝食室に思う〜

朝が始まる前

近ごろ ずいぶん日の出が遅くなった。

夏至前後 2-3ヶ月の日の出は4時台。薄暗いうちから飛び起きて 日の出15分前のピンクの空を眺めて帰ってきても、あたりはまだ静まりかえっている。世の中が動き出すまでのひと時、本を読んだり書きものをしたり。自分と向き合いながら過ごす贅沢な時間があった。ところが近頃 日の出は5時半を過ぎ、行き交う人も増えてきた。早く起きなくても えも言われぬ空を拝めるのは嬉しいけれど、それは同時に 夜明けが人の活動時間に近づくわけで。自分だけが持っていた特権を取られたような なんとも複雑な気持ち。まだ「朝」は始まって欲しくないのだ。

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バラガンの朝

何年も前、メキシコの建築家 ルイス・バラガン邸を見学したとき、案内人が言っていたのを思い出す。

「バラガンは、自分の朝食室を西につくった。そこでひとり静かに朝食をとりながら、これから始まる一日に思いを馳せた。」

敬虔なクリスチャンだった彼は、弱い光の差し込む西の窓から緑を眺め、まるで教会のような鎮まりを持つ 小さな朝食室で食事をとったという。朝は東から始まる。すでに"朝"が始まり 喧騒が渦巻く東から離れ、バラガンは未だ静の時間がながれる西に朝食室をつくったのだ。
ひとり静かな朝を求めるその気持ち、よく分かる。「朝」が始まる前のひと時は、なぜか 自分の’声’がよく聞こえる。西に自分の朝食室を持つことはできないけれど、朝が始まる前の 特別なひとときは誰にも奪われたくないものだ。